"日本版司法取引"とこれからの企業危機管理(1) (2018.5)

2018/05/09 / 総合研究室 研究員 鈴木 昭博 プリント


1.はじめに

 2016年5月24日に「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」等が成立し、2016年6月以降、順次施行されています。
今回の具体的な改正の内容は、以下の通りです。

 (1)取調べの録音・録画制度
 (2)合意制度等(「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」と「刑事免責制度))の導入
 (3)通信傍受の合理化・効率化
 (4)裁量保釈の判断に当たっての考慮事情の明確化
 (5)弁護人による援助の充実化
 (6)証拠開示制度の拡充
 (7)犯罪被害者等・証人を保護するための措置
 (8)証拠隠滅等の罪などの法定刑の引き上げ
 (9)自白事件の簡易迅速な処理のための措置

 刑事訴訟法が改正に至った背景には、いまだ記憶に新しい、いわゆる「郵政不正事件」が挙げられています。この事件は、2009年に、大阪地方検察庁特別捜査部(以下、大阪地検特捜部)が、障害者団体向けの郵便料金割引制度を不正に利用したとして、郵便法違反と虚偽有印公文書作成の疑いで、障害者団体、厚生労働省、ダイレクトメール発行会社、広告代理店、・郵便事業会社等の各関係者を摘発した事件です。しかし、事件の証拠品とされたフロッピーディスク内のデータが、主任検事により改ざんされていたことがスクープ(朝日新聞)され、その後、主任検事が証拠隠滅の容疑で逮捕されました。また、脅迫的な取調べや検察官による取調べメモの破棄が問題となりました。これら大阪地検特捜部による一連の不正が白日の下に晒され、検察への信用が一気に失墜しました(2010年に被告人とされた厚生労働省元局長・村木厚子氏らは、無罪判決が言い渡されています)。
 これが契機となり、これまでの刑事司法制度の反省と時代に即した刑事司法制度へと改めることを目的として、「法制審議会 新時代の刑事司法制度特別部会」が立ち上げられ、国会等での審議を経た結果、「時代に即した新たな刑事司法制度の構築」のためには、「証拠収集手段の適正化・多様化」と「公判審理の充実化」が必要で、これにより、「取調べ及び供述調書への過度の依存からの脱却」を図ることができるとの結論が導き出され、今回の改正に至っています(なお、同部会では、2011年6月より合計30回に渡り議論がなされたほか、2つの作業分科会で各10回に渡り、「専門的・技術的な検討を加えつつ、制度設計に関する試案等の資料」が作成され、同部会にて議論・検討が進められていました。このほか、国内においては、千葉県と福岡県の施設等を、国外においては、アメリカ、フランス、イタリア、韓国の施設等の視察を実施しています)。
 なかでも、(2)合意制度等の導入のうち「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」、いわゆる"日本版司法取引" (以下、簡略的に"日本版司法取引"と表現します。)については、企業の不祥事(企業犯罪)への対応方針等に影響を及ぼしかねない等の指摘があり、その施行時期や対象となる「特定犯罪」の内容について、注目が集まっていました。
 そして、2016年6月に改正刑事訴訟法が公布されてから2年以内に導入予定となっていた"日本版司法取引"は、2018年3月16日の閣議において、2018年6月1日に施行されることが決定されました(政令第五十号「刑事訴訟法等の一部を改正する法律の一部の施行期日を定める政令」、2018年3月22日付、官報号外第58号)。また、"司法取引"の対象となる「特定犯罪」についても、同時に閣議決定がされました(政令第五十一号「刑事訴訟法第三百五十条の二第二項第三号の罪を定める政令」、2018年3月22日付、官報号外第58号。この点については、後述いたします)。
 "日本版司法取引"について、大谷直人最高裁判所長官は、5月3日の記者会見で、「適切な運用で、取り調べや供述調書に過度に依存していると指摘されてきた捜査・公判が変わり、刑事司法が国民からいっそう信用されるものになると期待したい」としつつも、「(取引に応じる)共犯者の供述の信用性が論点で、判断方法は導入前から議論されてきた」、「施行後も適正な事実認定と量刑判断が行われるよう、議論を深めていくことが欠かせない」(日本経済新聞電子版、2018年5月2日付)と慎重な姿勢を示しています。
 そこで、本稿では、"日本版司法取引"がどのような制度なのか、企業にとってどのような対策が必要なのか等について、考察いたします。


2."日本版司法取引"の概要

(1)概要

 条文上、「司法取引」という文言は使われておらず、「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意」との章立てがされており、このため「合意制度」と言われています。 
 まず、その条文を確認してみましょう。

第350条の2 検察官は、特定犯罪に係る事件の被疑者又は被告人が特定犯罪に係る他人の刑事事件(以下単に「他人の刑
 事事件」という。)について1又は2以上の第1号に掲げる行為をすることにより得られる証拠の重要性、関係する犯罪
 の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者又は被告人
 との間で、被疑者又は被告人が当該他人の刑事事件について1又は2以上の同号に掲げる行為をし、かつ、検察官が
 被疑者又は被告人の当該事件について1又は2以上の第2号に掲げる行為をすることを内容とする合意をすることができ
 る。


1 次に掲げる行為

 イ)第198条第1項又は第223条第1項の規定による検察官、検察事務官又は司法警察職員の取調べに際して真実の供述
   をすること。
 ロ)証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること。
 ハ)検察官、検察事務官又は司法警察職員による証拠の収集に関し、証拠の提出その他の必要な協力をすること
   (イ及びロに掲げるものを除く。)。

2 次に掲げる行為

 イ)公訴を提起しないこと。
 ロ)公訴を取り消すこと。
 ハ)特定の訴因及び罰条により公訴を提起し、又はこれを維持すること。
 ニ)特定の訴因若しくは罰条の追加若しくは撤回又は特定の訴因若しくは罰条への変更を請求すること。
 ホ)第293条第1項の規定による意見の陳述において、被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること。
 ヘ)即決裁判手続の申立てをすること。
 ト)略式命令の請求をすること。


 法的解釈を論じるわけではありませんが、この合意制度は、検察官は、弁護人の同意を得られた場合(第350条の3)に、「特定犯罪」の被疑者・被告人と、その被疑者・被告人が持っている他人の特定犯罪に関する事実(情報)について、第1号で挙げられている行為を求める"見返り"として、第2号に挙げられている処分をすることを約束することになります。
 すなわち、被疑者・被告人に求められる行為は、以下の3点です。
 (1) 検察官または警察官の取調べにおいて、真実を供述すること
 (2) 裁判所において、証人として真実の供述をすること
 (3) (1)と(2)でする「真実の供述」の裏付けとなる証拠の収集に協力すること

 そして、被疑者・被告人は、その"見返り"として、不起訴や本来の罪よりも軽い罪状で起訴されること、裁判時に本来よりも軽い刑罰を求めること(求刑)などを検察官と約束することができます。

 この合意制度のポイントとしては、以下の3点が挙げられます。
 (1) 被疑者・被告人の犯罪事実が「特定犯罪」であること
 (2) 「他人の犯罪事実」を、いわば"取引の材料"とすること
 (3) "取引の材料"とする「他人の犯罪事実」が「特定犯罪」であること
 (4) 協議・合意の結果、検察官より"見返り"が与えること

 また、この合意制度は、検察官だけではなく、被疑者・被告人側からも持ち掛けることができる点に大きな特徴があります。
 合意制度導入のメリットのひとつとして挙げられるのは、事件の真相解明です。談合や贈収賄などの密行性の高い犯罪は、その真相を解明することが困難となるケースが多く、また違法薬物の売買や振り込め詐欺などの組織的な犯罪においては主犯格を突き止めることが困難となるケースが多分にあります。そのため、合意制度の活用により、不起訴や公訴取消し、罪状の軽い犯罪への訴因変更などを交渉材料として、末端の犯罪者から情報提供を受けることで、主犯格を突き止め処罰につなげることが期待されています。また、その他のメリットとして、裁判の時間や費用の低減、刑事責任を問わないことを約束することで証言を取ることができる(情報を引き出すことができる)といったことも挙がられています。
 しかし、どんな犯罪についても、司法取引が許されるわけではなく、その対象は、「特定犯罪」でなければなりません。また、他人の刑事事件の情報であれば、すべて検察官と合意に至るということでもありません。刑事訴訟法の改正における「合意制度」導入の目的は、暴力団をはじめとする反社会的勢力や不正会計などの企業における犯罪は、組織的に犯罪行為に及んでいるケースが多いため、その首謀者の摘発や証拠収集が困難であるケースが多く、その打開策として、実行犯である被疑者・被告人へ"見返り"を与える代わりに、共犯関係にある者(首謀者)の情報を引き出そうとする点にあります。したがって、実務的には、検察官が"ほしい"情報であり、かつ、「他人の犯罪事実」の証拠となり得る有益な情報でなければ、そもそも合意に至ることは難しいと考えられます。


(2)対象となる「特定犯罪」

 それでは、どのような犯罪が対象となる「特定犯罪」なのか、まずは条文をみていきます。

第350条の2第2項 前項に規定する「特定犯罪」とは、次に掲げる罪(死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たるものを除
 く。)をいう。

  • 1.刑法第96条から第96条の6まで若しくは第155条の罪、同条の例により処断すべき罪、同法第157条の罪、同法第158条の罪(同法第155条の罪、同条の例により処断すべき罪又は同法第157条第1項若しくは第2項の罪に係るものに限る。)又は同法第159条から第163条の5まで、第197条から第197条の4まで、第198条、第246条から第250条まで若しくは第252条から第254条までの罪

  • 2.組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成11年法律第136号。以下「組織的犯罪処罰法」という。)第3条第1項第1号から第4号まで、第13号若しくは第14号に掲げる罪に係る同条の罪、同項第13号若しくは第14号に掲げる罪に係る同条の罪の未遂罪又は組織的犯罪処罰法第10条若しくは第11条の罪

  • 3.前2号に掲げるもののほか、租税に関する法律、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)又は金融商品取引法(昭和23年法律第25号)の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの

  • 4.次に掲げる法律の罪
     イ)爆発物取締罰則(明治17年太政官布告第32号)
     ロ)大麻取締法(昭和23年法律第124号)
     ハ)覚せい剤取締法(昭和26年法律第252号)
     ニ)麻薬及び向精神薬取締法(昭和28年法律第14号)
     ホ)武器等製造法(昭和28年法律第145号)
     ヘ)あへん法(昭和29年法律第71号)
     ト)銃砲刀剣類所持等取締法(昭和33年法律第6号)
     チ)国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等
       の特例等に関する法律(平成3年法律第94号)

  • 5.刑法第103条、第104条若しくは第105条の2の罪又は組織的犯罪処罰法第7条の罪(同条第1項第1号から第3号までに掲げる者に係るものに限る。)若しくは組織的犯罪処罰法第7条の2の罪(いずれも前各号に掲げる罪を本犯の罪とするものに限る。)

 また、第3号で挙げられている政令は、前述の「刑事訴訟法第350条の2第2項第3号の罪を定める政令」であり、その条文は、以下の通りです。

 内閣は、刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)第350条の2第2項第3号の規定に基づき、この政令を制定する。
 刑事訴訟法第350条の2第2項第3号の財政経済関係犯罪として政令で定める罪は、第1号から第48号までに掲げる法律の罪又は第49号に掲げる罪とする。

 1.租税に関する法律
 2.金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(昭和18年法律第43号)
 3.私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)
 4.農業協同組合法(昭和22年法律第132号)
 5.金融商品取引法(昭和23年法律第25号)
 6.消費生活協同組合法(昭和23年法律第200号)
 7.水産業協同組合法(昭和23年法律第242号)
 8.中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)
 9.協同組合による金融事業に関する法律(昭和24年法律第183号)
 10.外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号)
 11.商品先物取引法(昭和25年法律第239号)
 12.投資信託及び投資法人に関する法律(昭和26年法律第198号)
 13.信用金庫法(昭和26年法律第238号)
 14.長期信用銀行法(昭和27年法律第187号)
 15.労働金庫法(昭和28年法律第227号)
 16.出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(昭和29年法律第195号)
 17.補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(昭和30年法律第179号)
 18.預金等に係る不当契約の取締に関する法律(昭和32年法律第136号)
 19.特許法(昭和34年法律第121号)
 20.実用新案法(昭和34年法律第123号)
 21.意匠法(昭和34年法律第125号)
 22.商標法(昭和34年法律第127号)
 23.金融機関の合併及び転換に関する法律(昭和43年法律第86号)
 24.著作権法(昭和45年法律第48号)
 25.特定商取引に関する法律(昭和51年法律第57号)
 26.銀行法(昭和56年法律第59号)
 27.貸金業法(昭和58年法律第32号)
 28.半導体集積回路の回路配置に関する法律(昭和60年法律第43号)
 29.特定商品等の預託等取引契約に関する法律(昭和61年法律第62号)
 30.不正競争防止法(平成5年法律第47号)
 31.不動産特定共同事業法(平成6年法律第77号)
 32.保険業法(平成7年法律第105号)
 33.金融機関等の更生手続の特例等に関する法律(平成8年法律第95号)
 34.種苗法(平成10年法律第83号)
 35.資産の流動化に関する法律(平成10年法律第105号)
 36.債権管理回収業に関する特別措置法(平成10年法律第126号)
 37.民事再生法(平成11年法律第225号)
 38.外国倒産処理手続の承認援助に関する法律(平成12年法律第129号)
 39.公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律(平成12年法律第130号)
 40.農林中央金庫法(平成13年法律第93号)
 41.入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律
  (平成14年法律第101号)
 42.会社更生法(平成14年法律第154号)
 43.破産法(平成16年法律第75号)
 44.信託業法(平成16年法律第154号)
 45.会社法(平成17年法律第86号)
 46.犯罪による収益の移転防止に関する法律(平成19年法律第22号)
 47.株式会社商工組合中央金庫法(平成19年法律第74号)
 48.資金決済に関する法律(平成21年法律第59号)
 49.前各号に掲げる法律の罪のほか、次に掲げる罪(刑法(明治40年法律第45号)の罪を除く。)
  イ)賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をした罪
  ロ)賄賂を収受させ、若しくは供与させ、又はその供与の要求若しくは約束をした罪
  ハ)不正の請託を受けて、財産上の利益を収受し、又はその要求若しくは約束をした罪
  ニ)イからハまでに掲げる罪に係る賄賂又は利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をした罪
  ホ)任務に背く行為をし、他人に財産上の損害を加えた罪又はその未遂罪


 政令と比較して見ると、刑事訴訟法に挙げられている犯罪の大半は、主に反社会的勢力の組織的犯罪を想定していることが分かります。
 一方、財政経済関係犯罪は、企業活動に欠かせない特別法が、ほぼ網羅的に政令で定められました。近年、頻発している企業不祥事を踏まえれば、自社が被疑者・被告人になる、もしくは企業犯罪に巻き込まれる可能性がないとは言えず、いつそうなっても良いように備えておくことが肝要であると言えるでしょう。


(3)"日本版司法取引"と刑事免責制度の併用

 ここで、"日本版司法取引"と同時に導入されている「刑事免責制度」を簡単に概観します。
 この制度は、証人が刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのある事項についての尋問を予定している場合に、当該犯罪事実についての証言の重要性、関係する犯罪の軽重及びその他の事情を考慮して、検察官が必要と認めるときは、あらかじめ裁判所に対し、当該証人尋問を請求できる制度です。

 この請求には、以下の条件が掲げられています。

  • (1)尋問に応じて行った供述及びこれに基づいて得られた証拠は、原則として、証人の刑事事件において、これらを証人に不利益な証拠とすることができないこと
  • (2)自己が刑事訴追、または有罪判決を受けるおそれのある証言を拒否することができないこと

 言い換えれば、検察官が行った請求に基づき、裁判所は、証人(被疑者・被告人)に対して、刑事責任の免除を与える代わりに、自己に不利益な証言を義務付ける決定をする制度であり、"日本版司法取引"と同様に、組織的な犯罪における共犯関係にある者、首謀者(黒幕)に関する情報を引き出し、その組織の摘発にまでこぎつけようという意図があります。

 "日本版司法取引"と刑事免責制度との相違点は、以下の2点です。

  • (1)"取引"を行うものではないため拒否権は与えられていない
  • (2)証人が持っている犯罪事実を自己の"取引の材料"とすることができない したがって、当該証人が責任を追及されている別の事件について、有利な取り扱いが約束される制度ではないということです。

 "日本版司法取引"と刑事免責制度は、刑事訴訟法上一体的に整備はされておらず、制度上また運用実務上も、セットで設計されたわけではありませんが、"日本版司法取引"と刑事免責制度を併用することも可能であると考えられます。
 たとえば、2つの贈収賄事件(以下、贈収賄事件1、贈収賄事件2と称します。)に関与している被疑者・被告人Aは、当然に双方の事件について刑事責任を免れたいと考えます。そこで、Aが取り調べを受けている公務員Bに対する贈収賄事件1において、公務員Cに対する贈収賄事件2に関する証言を、刑事免責を付与された場合にする旨を"日本版司法取引"として検察官に提案します。この提案が認められれば、公務員Bに対する贈収賄事件1については不起訴などの処分がなされ、公務員Cに対する贈収賄事件2については裁判で行ったAの証言を、自らに不利に用いられることはないとの保証を得ることができるという方法です。しかしながら、すぐさまこの提案が受け入れられるわけではなく、被疑者・被告人が関与している事件、または"取引"される他人の犯罪行為の重大性や社会的影響などが総合的に考慮されたうえで、相当と認められた場合にのみ合意されることになるため、現時点ではこの運用は、想定されてはいないでしょう。


3.アメリカ合衆国の司法取引制度との比較

 すでに導入されているアメリカでは、刑事事件の9割以上で司法取引が行われているとされています。運用されている司法取引は、「捜査・公判協力型」と「自己負罪型」が主流となっています。

 たとえば、歌手のジャスティン・ビーバーは、2014年にフロリダ州内で、「DUI(Driving Under the Influence=アルコールまたは薬物の影響下での運転)」と運転免許証の不携帯(期限切れ)、さらに公務執行妨害の現行犯で逮捕されています。しかし、その罪は、DUIから格下げされた「Reckless Driving=危険運転」(比較的軽度な交通違反)と公務執行妨害のみに軽減されています。さらに、その刑罰は、アンガー・コントロール・セラピーによる一定時間の治療とDUI講習の受講、5万ドルの寄付などを条件として、規定の罰金のみへと軽減されました。刑罰については、州法や回数にもよりますが、DUIだけでも、通常、重罪となる4回目の場合には、4年間の免許取消、1,000ドル以下の罰金または群刑務所における180日以上1年以下の禁固または、州刑務所における3年以下の禁固とかなり厳しいものとなっており、比較すればかなりの軽減がされていることが分かります。その要因は、司法取引にあると考えられます(また、そのような報道もあります)。
 また、2015年にカリフォルニア州で起きた妻殺害事件では、通常、計画的な殺人として有罪となれば終身刑(死ぬまで刑事施設に収監される刑)となるところ、禁錮(労役義務はなく、刑事施設に収容されて身柄を拘束される刑)11年の判決が言い渡された事件があります。これは、当初被告人は、事件への関与を否定していたものの、検察と司法取引を行い、妻の殺害を認める"見返り"として減刑を得た事例です。
 これらのケースは、自らの罪を認めることで刑罰を軽くする「自己負罪型司法取引」と言われるものです。捜査当局としては、被告人に「自らの罪を認めること」と引き換えに、刑を軽くすることを約束すれば、捜査負担の軽減などが図られます。一方で、被告人としては、もち掛けられた司法取引というオイシイ話に応じれば(あるいは、自ら持ちかけるケースもあり得る)、軽い刑で済ませることができます。それは、ジャスティン・ビーバーのように社会的に広く活動している人物からすれば、社会からの信用や人気を下げずに済ませることができるわけです。
 では、自らの刑を軽くする取引材料が、自らの罪ではなく、「他人の罪」であったならばどうでしょうか。「問われている罪は否定するけど、他人の罪を教えるから、自らの罪は問わないでね」ということが通ってしまいます。


4.司法取引制度の問題点

 そこで、続いて、司法取引制度の問題点について検討します。
 「1.はじめに」でも触れましたが、日本はこれまでの刑事法制において、取調べに依存した捜査手法をとっており、裁判においても取調べの内容が重要視される傾向が強くありました。そのため、捜査機関による自白の強要や証拠資料の捏造などが行われ、冤罪を招くケースや捜査機関の不祥事が起こる事態となりました。この事態を重く捉えた政府は、法制審議会において刑事司法の改革を議論し、取調べに依存した捜査手法からの脱却と証拠収集の多様性を図ることを目的として、改正刑事訴訟法を制定するに至っています(なお、改正に至るまでの十分な議論が尽くされていないとの意見や今回の改正に関する反対意見は多数あります。)。
 司法取引のデメリットとして挙げられている一つに、ウソの証言を招き、その結果として冤罪を生むリスクがあるという点です。
 前述のように、事件に関する情報を提供すれば、自身が罪に問われている事件について、刑を軽くすることや刑事的な責任を問わないこと(無罪)が約束されます。そのため、全く事件に関係のない人物の犯行を見たとウソの証言を行うことや、特定の人物への私的感情から報復的にウソの証言を行うこともあり得ます。また、捜査機関がストーリーに描いた人物を犯人とするために必要な情報を提供させるよう恣意的に誘導することも危惧されています。

(1)「ジェイルの情報提供者」

 さて、「他人の罪」を取引の材料とする捜査・公判協力型の司法取引は、日本で導入される「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」と類似(ほぼ同一のものと言われています)しています。そこで問題となるのが、自らの刑罰を軽くするために他人の罪を取引の材料とする者、アメリカでは、"インフォーマンツ"や"スニッチーズ"とも呼ばれている情報提供者です。このうち、自らも罪に問われ、拘禁などにより身体を拘束されている者たちは、"見返り"を求めるがために虚偽の供述や証言をする危険性が特に高いとされ、「ジェイル(監房)の情報提供者」と言われています。
 このジェイルの情報提供者について、2015年7月1日に行われた衆議院の法務委員会の席上、関西大学客員教授でもある郷原弁護士が紹介した事例をみていきます。
 1982年にアメリカで起きた強姦殺人事件について、プロ野球選手のウィリアムスンと生物学教師のフリッツがその罪を問われ、被告人として公判に立たされました。ウィリアムスンと同じ施設にいた情報提供者は、ウィリアムスンから犯行告白を聞いたとして証言台に立ち、その詳細を語ります。遺体から検出された遺留物について間違った証言をするも検察官に促され(訂正ではなく誘導的に)、言い直しながら事実と一致する証言をしました。また、フリッツと同房の情報提供者は、ある日、「被害者を傷つけるつもりはなかったが、娘には黙っていてくれと口止めをした」とフリッツが涙ながらに語ったと証言をしました。これらの証言は、ある程度の具体性があるとして信用され、ウィリアムスンとフリッツの二人に有罪判決が言い渡されました。このうち、ウィリアムスンの情報提供者は、別の事件で偽造小切手行使の罪に問われており、"見返り"を動機として虚偽の証言をしたことが分かっています。なお、ウィリアムスンの死刑執行直前の1999年に、人身保護請求が認められ、DNA鑑定の結果、無実が明らかになっています。

(2)日本における「情報提供 1」

 "司法取引"の導入がこれからという日本でも、実は、この「情報提供」に関する類似の事例があります。
 ここでは、問われている自らの罪とまったく関係がない他人の罪(別の事件)について情報提供を行うものを「他人型」、問われている自らの罪と共犯関係にある他人の罪について情報提供を行う「共犯型」とに分類してみていきます(日弁連全国冤罪事件弁護団連絡協議会座長の今村弁護士の類型化を参照)。
 まず、他人型について、1986年3月に起こった福井女子中学生殺害事件では、別件(覚せい剤取締法違反)で逮捕・勾留されていたAが、殺害事件に関する情報を提供することで自らの罪が軽減されると考え、事件に全く関係のない知人Bを犯人であると情報提供しました。さらにAは、他の知人たちをも巻き込み虚偽の供述をさせて、あたかもBが犯人であるというストーリーを作り上げ、その結果、Bは有罪となりました。なお、Aについては、刑罰の軽減などがあったかは定かではありません。
 もうひとつ、他人型の別の事例としては、2004年3月に北九州市八幡西区引野口で起きた「引野口事件」があります。この事件は、全焼した家屋からAの焼死体が発見され、司法解剖の結果、死因は焼死ではなく刺し傷によるものとされ、殺人放火事件として捜査が行われ、Aの身の回りの世話をしていた妹Bが逮捕・起訴されました。その裁判において、検察側は、Bの同房者Cが、BがAを殺害し放火したという犯行告白を聞いたと主張しています。犯行告白を聞いたとする同房者Cは、窃盗の余罪が8件ありましたが、そのうち7件は不起訴、起訴された残りの1件も執行猶予判決が下されており、刑の軽減という"見返り"を受けている、事実上の取引がされていたのではないかとの指摘があります。なお、この事件について、2008年に福岡地裁小倉支部は、Bに対し無罪判決を言い渡していますが、その判決文で、「代用監獄」を不当に利用した証言は認められない、また、このような不当な捜査手法によって得られた証拠は虚偽が入り込む危険性が高いとしてCの証言を証拠から排除しています。

(3) 日本における「情報提供 2」

 つづいて共犯型について、「問われている自らの罪と共犯関係にある他人の罪について情報提供を行う」と先に述べましたが、複数人で犯行に及んだとされる事件において、実は全員がまったくの無実であったという事例も含まれます。

 1949年の「松川事件」では、当時少年であった被疑者(実際は無実)は虚偽の自白を行うとともに、無実の他人を巻き込む虚偽の共犯者供述を行い、その結果、全員が死刑を含む有罪とされました(なお、1963年に全員が第二次上告審で無罪となっています)。また、1968年に起きた「布川事件」では、単独による犯行ではなく、共犯者数名によるものとして無実のAとBの2名が逮捕されましたが、「自分がやっていないのだからあいつだろう」とお互いに思い込み、虚偽の供述を行い有罪となっています(なお、2011年に再審による無罪判決が確定しています)。
 また、共犯型として、真犯人が無実の人を巻き込むケースもあります。「真昼の暗黒」として映画にもなった1951年の「八海事件」では、Aは自らの責任を軽くするために、知り合って間もない無実の5名の名前を挙げて、共犯者と虚偽の供述をしています。5名のうち、1名はアリバイがあったため逮捕されませんでしたが、他の4名は逮捕され、拷問を経て虚偽の自白を行い起訴されました。そして、裁判において、4名はともに無実を主張するも、1名は主犯格とされ死刑を言い渡されています。しかし、真犯人のAは、死刑を免れ、無期懲役となりました。検察側は、Aを有罪とするためには共犯者がいた事実を捏造することが必要であると考え、Aより虚偽の共犯者供述を取り、4名の虚偽の自白をこの裏づけとしました。このとき、死刑となるはずのAは、自らの罪を認めるのと同時に、事実とは異なる他人の罪を取引の材料として、刑罰の軽減を得たと考えられています。
 また、冒頭でご説明した2010年の「郵政不正事件」では、検察側が描いたストーリーに従って、「共犯者供述」が取られ、その情報提供の"見返り"に刑罰を軽減(不問)されたのではないかとの指摘がされています。

(4)冤罪

 ここまで、自己負罪型と捜査・公判協力型の司法取引について、事例をみてきました。特に捜査・公判協力型については、「情報提供」によって事件に無関係の人が巻き込まれ、冤罪を招く危険性をはらんでいます。
 実際、アメリカでは、科学捜査の技術の発展が進んだ1990年代以降、DNA鑑定によって330名が雪冤され、このうち20名は死刑確定者であったとの報告がされています。これについて、ノースウエスタン大学ロースクールのロブ・ウォーデン教授は、2004年の研究において、冤罪の第1位の原因は、誤った情報提供者の証言によるもので、冤罪事件の45.9%にも上ると発表しています。また、バージニア大学ロースクールのブランドン・L・ギャレット教授は、雪冤事件(晴れて無罪が証明された事件)の第1号から250件を分析したところ、52件において確定判決の有罪認定の証拠が情報提供者の証言であったことを実証しています。さらに、冤罪研究者のサミュエル・グロス氏の2005年の発表によれば、殺人冤罪事件の約半数が、ジェイルの情報提供者やその他虚偽の証言により何らかの恩恵を受けた者による偽証が関係していることを明らかにしています。
 なぜ、このような事案が後を絶たないのでしょうか。犯罪心理学的な視点で語らずとも、人間の本質的な防衛本能が働いていると考えられます。自ら罪を犯したにしても、身体的・経済的自由を奪われることは、誰しも恐怖を感じることでしょう。しかし、自らの犯した罪に対する罰を軽減させるために、他人を巻き込むことが許されるわけがありません。このことは、決して遠い国で起きていることではなく、日本でも起こりうることであり、現にすでに起きていることでもあります。未然にこれらの事案を防ぐことができていないのは、制度的に何らかの欠陥があることは疑いようがありません。実際に、アメリカでは、刑事司法の改善を図るべく「イノセンス革命」と称して改革を行っています。
ひとつの結論として、検察官や裁判官など制度を運用するのは人であり、情報を提供する被疑者・被告人も人であり、そして、冤罪を生むのも人であるということです。いくら制度の改革を行っても、人が変わらなければ根本的な解決に至ることは難しいと考えられます。しかし、このことは、何も社会的な問題として提起しようとするものではなく、そのようなリスクがあるということを認識することが危機管理的な観点からは不可欠であると言えます。また、「共犯者」という複数人が絡んだ事件もありましたが、これは共犯者グループ、「小さな組織」と捉えることができます。言うまでもなく、会社もまた組織体であり、人で構成されており、人が動かしています。組織に関する司法取引の事例も、企業を中心に多くあります。その原因は、やはり人である言えます。
 企業をはじめとする法人・団体の不祥事が後を絶たない昨今の社会情勢から、日本の"司法取引"導入の目的のひとつに、組織犯罪、企業犯罪の解明が挙げられています。"司法取引"を通じて個人が事件に巻き込まれるリスクはもちろんのこと、企業が事件に巻き込まれる、あるいは企業の不祥事が早期に捜査当局に感知され事件化し、経営などに大きな影響が及ぶ可能性があります。

(続く)

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【参考文献】

・白取祐司・今村核・泉澤章「日本版『司法取引』を問う」(旬報社、2015年)
・平尾学「日本版司法取引と企業対応」(清文社、2016年)
・木目田裕・佐伯仁志編著「ジュリスト増刊 実務に効く企業犯罪とコンプライアンス判例精選」(有斐閣、2017年)
・朝山道央編著「企業犯罪と司法取引」(金融財政事情研究会、2017年)

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