30秒で読める危機管理コラム

危機管理のプロの観点から時事ニュースを考察しました。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず~反社リスク対策に関する実態調査(2021年)

当社は、全国の「反社チェック業務を現在担当している、または過去3年以内に担当したことがある担当者」621名に対してWebアンケートを実施した。そこで明らかとなったのは「企業の反社リスク対策は反社会的勢力の実態に対峙できるレベルにない」という厳しい現実だ。例えば、反社会的勢力の定義を明文化していない企業が3割、元暴力団員や「半グレ」への対応が不十分で、これら社内の認識の不統一という綻びから反社会的勢力が侵入するリスクを高めるおそれがある。さらに、反社チェックの対象範囲が狭く、不透明化する反社会的勢力を見抜くだけのレベルにない。取引謝絶においても「取引先の役員等」、「暴力団構成員」が中心であり、「見えにくい」反社会的勢力の排除は後回しの状況であることがうかがえた。絶望的なまでのミスマッチの解消が急務だ。(芳賀)

▼反社リスク対策に関する実態調査(2021年)

金融犯罪のグローバル化への対応が急務だ~「幅広い業態」に「実効性」ある実務・監督・規制が求められている

FATFの第4次対日相互審査で日本は辛くも「観察対象国」指定を免れた。メガバンク以外の金融機関や、不動産業者・弁護士などDNFBPs(指定非金融業者・職業専門家)の取組みの遅れが指摘されたほか、継続的顧客管理(取引モニタリング)や実質的支配者の確認実務の実効性の低さ、テロ対策への意識の低さ、NPO法人等が有する「犯罪インフラ性」への対応の遅れ、国内法規制の弱さなどにも厳しい目が向けられた。さらには、反社リスク対策における、金融機関が独自に整備しているDBの「正確性や確度の確保」に課題があること、スクリーニング偏重の傾向から「振る舞い検知」の取組みが遅れていること、口座解除の手続きに時間がかかりすぎるなどといった指摘もあった。事業者にAML/CFTに係る義務を深く理解し、実務の深化を図ることを強烈に促す内容で、課題は山積みだ。(芳賀)

「テロとの戦い」の結末~それでも「寛容」さが求められている

タリバン復権でアフガニスタンがテロの温床と化しつつある。「テロとの戦い」を標榜した20年、場当たり的な介入と撤退がもたらしたものは、努力と成果が無に帰した「徒労感」と、混乱とテロリスクの高まりでしかなかった。1つのテロ組織を弱体化に追い込めば、別の組織が息を吹き返す。もともと目指すものが違うイスラム過激派同士の覇権争いの激しさが増すのも当然のことだ。テロを抑え込むための最先端の武器がテロリストの戦闘能力の強化に資する「皮肉」、テロを抑え込むために別のテロ組織と連携するしかない「矛盾」も露呈した。国土と人心の荒廃がさらなるテロを生み出す悪循環を断ち切るのは容易ではなく、国際社会の求める「寛容」の実現は不透明だ。一方で、難民や食料や医療の逼迫など、国際社会による「寛容」な人道支援はまったなしだ。(芳賀)

関東大震災から98年

9月1日は防災の日。近代日本における防災対策の基準点ともなった1923(大正12)年の関東大震災から98年を迎えた。昼の11時58分に発生した大地震は昼食の準備中だった民家を襲い、東京では多くの火災が発生。10万人以上の犠牲者を出した。関東大震災よりも大規模だったと考えられている1703年の元禄関東地震では、死者は江戸で300人余りだったと伝えられる。日清(1894年)・日露戦争(1904年)に勝利し、列強の1つに数えられるようになった日本はその後も第一次世界大戦(1914年)の勝利で好景気に沸き、東京への一極集中が加速している時代でもあった。おりしも、1918年から20年にかけてはスペイン風邪が猛威を振るい、国内でも40万人の死者を出した直後だった。コロナ禍の現在とも、少し重なるところがあると感じるのは私だけだろうか。日常の防災を見直したい。(大越)

菅波先生の言葉はなぜ響くのか?~「わかりたい」気持ちの欠如とギスギス感~

「おかえりモネ」の菅波先生がモネに伝えた言葉が多くの人の心に響いているようだ。「あなたの痛みは僕にはわかりません。でもわかりたいと思っています。」愛の言葉にしては控えめだが、深く染み入る名台詞だと思う。今この言葉が響くのは、私たちの日常に「わかりたい」が欠如しているからではなかろうか。なぜ部下は上司の思い通りに動かないのか、なぜ隣の部署は新しい取組に反対するのか、なぜモンスター社員は会社を批判するのか、「わかりたい」と思い、耳を傾ける人がどれだけいるだろう。自分の思い通りにならないことに腹を立て、相手を非難ばかりしていれば、組織はますますギスギスする。菅波先生ほどでなくていい。互いにもう少し「わかりたい」気持ちを持つことで、組織はきっと、「もっと良い状態」を目指せるようになるのではないか。(吉原)

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