ロスマイニング トピックス

革新的な技術進歩と人との融合

2021.04.19
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総合研究部 上席研究員(部長) 伊藤岳洋

皆さま、こんにちは。

本コラムは、消費者向けビジネス、とりわけ小売や飲食を中心とした業種にフォーカスした経営リスクに注目して隔月でお届けしております。

革新的な技術進歩と人との融合

今回はテクノロジーの進化が、小売業の経営にどのようなインパクトをもたらすか、言い換えると小売業がそれらをどう有効に活用するかを経営の視座から考察していきます。さらに、新しい技術の「穴」を突くように、あらたな犯罪の手口が生まれます。そのような「構造」を理解して、窃盗などの犯罪への対策を検討していくことについても考察します。

革新的な技術進歩によりあらたなビジネスツールが登場し、それに伴い様々な新しい言葉や概念、技術が絶えず発生しており、こうした新しい概念やアイディアに混乱している方もいらっしゃるかも知れません。そこで、こうした新しい概念について見ていきたいと思います。IoT(Internet of Things)、ICT(Information and Communication Technology)、ビッグデータ(Big Data)、そしてビッグデータの解析手法としてのAI(artificial intelligence)、コグニティブビジネス(cognitive business)などのビジネスツールが、爆発的に拡大するデータの活用を通じて産業やビジネスの基盤を変えようとしています。しかもこのデータは量的に莫大であるだけでなく、非構造化された膨大なものとして存在し、経営は新たな対応を必要としています。従来では考えられない分野にそれらのテクノロジーが応用されてきている例をみていきましょう。

たとえば、人的資源管理(human resource management:HRM)へのビックデータ解析やAI技術の浸透する未来像があります。従来型の伝統的な日本企業の多くは、せっかく収集した人材データを活用してきませんでした。しかしながら、いまやAI・ICTの進展により、人事部門向けのデータ活用が急速に浸透しつつあります。その最先端を走っているのがGoogleでしょう。同社は、採用活動において、外部の人材採用サイトや人材斡旋サービスを一切使っていないことは有名です。それらに代わって、自社データを圧倒的に活用した採用方法をとっています。社内の人材をすべてデータ分析し、自社にとっての「優秀人材」の特徴を把握しています。結果、たとえば「アイビーリーグ(米国東海岸のエリート私立大学8校の総称)を平凡な成績で卒業した人より、州立大学をトップで卒業した人の方が、Googleでは高いパフォーマンスをあげられる」などがわかっていて、それらを採用基準にしています。

これら以外にも、採用における最適な面接回数(同社では4回)、面接の質問内容、女性社員活躍を推進する方法、優秀な社員の定着率向上、中間管理職の貢献度の計測方法、高齢化への対応方法など、すべてデータ解析により決めています(Laszlo Bock[2015])。たとえば、最適な面接回数は、当初受験者ひとりにつき25回もの面接が本当に役に立つかを調べたといいます(尚、採用プロセスに電話やビデオチャットもあり、日本の一般的なそれとは異なります。また、いかに最高の人材を採用するかに妥協はなく、Google全体の採用率は0.25%とかなりの難関です)。結果、4回の面接によって86%の信頼性で予測できることを発見しました。その後の面接では1回につき1%しか予想精度は向上しませんでした。会社が余計な時間をかける価値も受験者が苦労する価値も、まるでなかったというわけです。さらに、受験者側を見るだけでなく、面接官のほうにも、受験者を判別する能力についてフィードバックをしています。すべての面接官が、自分が過去に付けた点数と、面接した人たちが採用されたかどうかの記録を見ることができます。自分が見抜いたことや見逃したことから何かを学ぶよう促されるため、常に適正ある人を正しく評価できたかを検証することになります。

このような施策は、Googleだけでなく、今後は日本の企業にも浸透する可能性があります。AIを搭載した人事系の業務ソフトウェアが、続々とITベンダーから提供されつつあり、採用やメンタルヘルスの管理、労務管理などの業務を担い始めています。

これらのデータ活用の動きは、一見すると人の関与、すなわちHRMから経営理論を不要にする印象もあります。しかしながら、逆にこのHRMの未来で経営理論の必要性は高まると考えます。なぜならば、機械的に算出されたAIの分析結果だけを見ても、実務担当者がそれに納得して人事方針を変更できるとは限らないからです。たとえば仮に、AI分析により「5回配置転換した人のほうが、1回しか経験してない人よりパフォーマンスが高い」という結果を人事担当者が示されたとしても、AIはそれに対して「なぜ」なのかを説明してはくれません。人は納得性の生き物です。AIがそう言っているから配置転換しろといっても、「なぜか」のロジックがなければ、なかなか受け入れられないものです。経営理論によって、説明が与えられ、人が納得・腹落ちすれば、それは人の「行動」を促します。人は腹落ちしなければ、行動しません。もし、人事担当者が経営理論を知っていれば、データの分析結果の「なぜ」に説明を与え、周囲にも納得性を与えられるはずです。このようにHRM領域のビッグデータ・AIと経営理論は補完し合う関係になることが期待できます。

もうひとつ付け加えると、HRMと戦略の融合も起きつつあります。これまで、日本企業の人事部門は管理業務に留まることが多く、「人事と戦略の融合」という意識は希薄だったと思います。しかしながら、競争が激しい時代に企業が存続し続けるためには、人材を戦略的に育て、戦略的に配置し、戦略的に管理しなければなりません。「戦略人事」という言葉がよく聞かれるようになったのは、このような背景があります。第1線の経営者がよく言う「社長になったつもりで仕事をしなさい」という言葉は、もはやHRMを戦略と一体化して捉える重要性を言い表しています。

商品管理とテクノロジーのイメージ画像

続いてIoTに視点を移します。経営が新たな対応を必要としている一方で、IoTの潜在的危機として「多くの企業が多くのヒト・モノ・カネを投入し、IoTを構築したものの、大量のデータを収集した後に期待される効果を実現できずに困惑している」(Lee[2016]pp.62-63)という事実もあります。IoTには、IoTをインターネットや通信技術を活用した(単独の)製品を対象にする文字通りのIoTと、ビッグデータを介在したビジネスモデルに着目する2つがあります。前者では、たとえば、不動産会社の内覧業務利用に特化したスマートロック「iNORTH KEY(イノースキー)」があります。仲介物件の内覧の際、管理会社に鍵を取りに行く手間を省き、いつ誰がどの鍵を開錠・施錠したかを把握できます。このことにより、業務の効率化や入退室に関するセキュリティを強化できます。最近の人との接触を避ける環境から、会議室やシェアオフィスにも利用が広がっているようです。

それでは、IoTを構成要素から3つの視点で整理してみましょう。まずは、IoTの構成要素であるInternetとThingsです。インターネットは通信ネットワークの視点(接続)であり、モノはRFID(Radio Frequency Identification:無線を利用して非接触で電子タグのデータを読み書きする自動認識技術)などセンサーの視点です。第3は先の2つから生み出されたデータをいかに表現し、蓄積し、接続し、検索し、組織化するかという価値創造という経営的な視点です。先の2つはIoTを技術的な側面から支えるインフラとして捉えることができます。ポーターらは、「インターネットは、人をつなぐにせよ、モノをつなぐにせよ、単に情報を伝達する仕組みに過ぎない。接続機能を持つスマート製品がいかに画期的かというと、理由はインターネットにあるのではなく、モノの本質が変化している点にある」、「この種の製品は、戦略面で数々の新しい選択枝をもたらす。価値をどう創造、確保するか」であると述べ、ビジネスモデル視点の重要性を指摘しています(Poter and Hepplemann[2016]pp.30-31)。重要なことは、企業がこれらの仕組みを使って価値を創造できるビジネスに変革できるかにあります。

ビッグデータを介在したビジネスモデルに着目すると、ビッグデータの解析手法としてのAIは、小売企業においてもその活用に期待が掛かっています。特に顧客との個別のリレーションシップにおいて、嗜好にあわせた販売促進が可能になります。それは、顧客の過去の行動に関するビッグデータを解析することでニーズにあったプロモーションを展開することです。たとえば、スマートフォンで来店客を判別して属性や購買履歴に応じた商品情報やクーポンを届けるなど個別の販促の仕組みが考えられます。最近では、フードロスの削減を目的に、消費期限が近づいた単品の購入を促すため、棚に設置した小型の電子看板への表示や棚に近づいた会員のスマートフォンに購入に対して加算するポイント付与の情報を表示する実証実験の取り組みが始まっています。

販売促進面ではさらに、顧客が外国人である場合は、棚に設置した小型の電子看板に外国語で情報を表示することも可能です。このような新しいサービスは、一般に実験を経て本格導入されます。特に大胆な変更に対してはどのような反応があるか予測できないという場合があります。業界を一変させるような革新的なアイディアは、経営幹部の経験や一般常識に馴染まないことが多いものです。それにもかかわらず、リスクを伴う改革や費用のかかる提案を厳格にテストする企業は多くはありません。それは、ほとんどの企業が適切な実験に資金を出したがらず、しかも実験することも相当難しいからです。実験のプロセス自体は簡単に見えても、さまざまな組織的・技術的な課題があるため実行することは難しいのです。

実際の小売ビジネスの大半は、店舗ネットワーク、販売地域、商圏内の顧客特性、競合店とそのサービス、など複雑な要因が関係してきます。その中での実験は、推定される原因(独立変数)と観測される効果(従属変数)を分離し、他の要因を一定にしたうえで、前者の独立変数を操作して後者の従属変数の変化を調べなければなりません。この操作とその後の注意深い観察・分析によって因果関係に関する知識が得られノウハウの蓄積となるのです。ただし、そのような知識やノウハウを得るため、実験に費用や手間を掛けて価値があるものにするには、企業は実験の目的を明確にし、実験結果を受け入れる組織的な合意を事前に行ない、結果の信頼性を担保することが重要です。

小売業におけるAIの活用は、先に述べた販売促進が有力ですが、その他にもオペレーションコストの削減やロスの削減などにもその活用が期待されます。オペレーションコストの削減では、RFID技術を使ったICタグを商品に添付することでレジの無人化や省力化の推進を経済産業省が主導し、大手コンビニエンス・ストア5社が同じシステムを利用する計画にもとづいて、実証実験が進んでいます(経済産業省は「コンビニ電子タグ1000億枚宣言」を発表しており、2025年までにセブンイレブンなどのコンビニエンス・ストア全商品に対して、RFIDタグを取り付けることを目標としています。)。

瞬時に会計がセルフで行なえることやその在庫情報を活用した様々なオペレーションの効率化、製造・流通のロス削減が期待され、小売業にとってはイノベーションと言えるものです。ただし、前述のとおり、このようなイノベーションは、実験によってその成否をあらかじめ測っておく必要があります。

少し前の失敗事例ですが、アメリカの大手デパートチェーンのJCペニーは、クーポンや在庫一掃セールをやめ、有名ブランドを積極的に誘致し、テクノロジーの利用によってレジやレジ係をなくすという大胆な計画を実行しました。ところが売上は急落し、損失が膨らんだ結果、わずか17ヵ月後に180度方針転換をしました(Thomke and Manzi[2016]p.78)。小売りの業態によって、従業員と顧客のコミュニケーションにおける質や頻度の違いはあっても、そもそも小売・サービス業では人による接客は必要な要素であり、顧客満足度にも大きく影響すると考えられます(ECであってもその種の似たようなコミュニケーションが重視されつつあると感じています)。地域性や顧客層を無視した計画はするべきではありませんし、そうした要素を実験でも検証すべきでしょう。テクノロジーのさらなる進歩によって、日本でもコンビニやミニスーパーの無人店舗の実験が進んでいますが、先んじて無人店舗が雨後の筍のように出現した中国を含めても、商業的に成功と呼べるものは未だにないのが現状です。

前述のRFID技術を使ったICタグの普及のカギは、コストでしょう。普及型のICタグの価格は、1枚10円を切り始めたとはいえ、前述の経産省の実証実験では、1枚1円以下を目指しています。やはり、導入する企業が増えるという「規模」によるコストダウンが必要です。さらには、ICタグを読み取る「リーダー」や読み取った情報を処理する「アプリケーション」のコストも下がってきており、現場に導入する動きも出てきています。もうひとつの条件は、ソースタギング(メーカーが商品に電子タグを付けること)が実現し、商品のほぼ全てをRFIDで管理できる環境が整備されていることです。

また、ICタグから取得された情報をサプライチェーンに提供することにより、メーカーの需要予測にも効果を発揮することが予想されます。特に弁当・総菜などの食品メーカーでは、高い効果が期待できます。コンビニなどへ出荷する食品メーカーは、店舗からの発注が確定する前に見込み生産を開始して発注確定後は受注生産に切り替わるという伸縮的な生産システムを採用しています。リアルタイムで店舗の販売状況が共有されれば、さらに生産プロセスにおける伸縮の幅が狭まることになり、生産・流通段階のロスは限りなくゼロに近づくはずです。販売段階では、消費期限に応じて自動的に価格を変更するシステムで食品ロスを削減するなどの応用も考えられます。

さらに、飲料や食品などの加工品メーカーは、市場に流通している在庫量を踏まえて生産量を柔軟に調整することもできます。物流では、空きトラックの情報を共有して共同配送を進めることができます。このようにサプライチェーンでICタグから取得された情報を活用すれば、製造・物流・卸・小売の垣根を超えたロスの削減を実現できる可能性が拡がります。

ファーストリテイリング傘下のユニクロとジーユーは全店にICタグを導入し、店舗に読み取り機能をもたせたフルセルフレジを設置しています。企業にとってICタグを導入するメリットのひとつは、在庫が可視化できることです。カウントを定期的に行うか、ICタグのリーダーを店内にいくつか設置することによってリアルタイムで在庫が把握できます。このように在庫をリアルタイムに把握できることは機会ロスや廃棄ロス、過剰在庫による値引き販売などを減らすことにつながります。特に衣料品は、流行や季節性に販売が大きく左右されるので、一時期に売り切らないとロスにつながりやすいものです。リアルタイムによる在庫の把握は、店舗間の在庫の移動や販売努力の策を打ちやすくします。

セルフレジのイメージ画像

また、ICタグの活用には、盗難防止というメリットもあります。特に商品が高額であったり、比較的小さかったりする商品の盗難防止には有効で、すでに前述のファーストリテイリングのほか、ドラッグストアの一部でも導入され効果を発揮しています。ドラッグストアでは、顧客が手に取れる医薬品などにICタグを貼り付け、レジで販売手続きをしないまま防犯ゲートを通過するとアラームなどの音と共に発報(店舗従業員に携帯端末を通じて知らせるシステムも存在します)する仕組みを万引き対策などの防犯に活用しています。

ところが、ICタグ導入企業の思惑を裏切るような形で、あらたな手口による万引きが確認されています。前述のユニクロではRFID技術によるICタグを活用したフルセルフレジを17年11月頃から試験的に数十店舗に導入し、19年中頃には全店に導入しました。20年頃からこのICタグを活用したフルセルフレジを悪用した万引きが目立つようになりました。21年3月に開催された全国万引犯罪防止機構(万防機構)主催のセミナーでもこの手口による万引きの増加が報告されています。また、その被害内容がSNSの一部で広がったことも特徴のひとつです(現在は削除されているようです)。模倣を防ぐ意味でも手口の詳細は伏せますが、システムの弱点を突く手口ということができます。ただ、システムメーカーや導入企業もその可能性は認識していたのではないかと考えています。しかしながら、その内容がSNSの一部で拡散することまでは、想定していなかったかもしれません。これに限ったことではなく、新しいシステムが登場すると、その隙をつくような新しい犯罪の手口も生み出されるのが現状です。

たとえば、スーパーマーケットにフルセルフレジが導入され始めた当初は、6缶パックビールなど外包装に印刷された専用のバーコードをスキャンせずに、缶に印刷された単品のバーコードをスキャンして、5本分を不正に盗むという手口がありました。しかも、この手口は「故意」を証明することが極めて困難です。バーコードの向きとかざす角度で、「たまたま」読み取ることも可能性としてはあるからです。問題が認識された以降では、商品を置く棚の重量センサーの感度を上げる(単品の設定重量の誤差を狭める)などの対策を施し、重量センサーが反応することによるエラーには、配置した係員が対応しています。

特に最近では、ペイペイなどのキャッシュレス決済サービスを利用した不正が挙げられます。レジ側のバーコードリーダーで、キャッシュレス決済サービスのアプリに表示されたバーコードを読み取るパターンは、レジ表示の会計が即時決済され問題は起きません。顧客のアプリ側で店のQRコードを読み込むパターンは、顧客自身が会計金額をアプリに打ち込み、レジ係員が金額を確認し、レジで(キャッシュレス決済サービスを利用した)支払い済の処理をすることになります。レジ係員は、会計金額が合っているか、さらにアプリ側で決済が完了したことまで確認する必要があります。尚、アプリ側で決済が完了すると「音」や「メロディ」が流れるのが一般です。不正の手口としては、「金額を過少入力する」、「レジ係員との共犯」、未確認情報ですが、「偽のアプリ画面やメロディを入手する」などが挙げられます。店舗側もそれらを認識して、係員への指導や確認を強化していることが「係員のアプリ画面の念入りな確認動作」からも伺えます。

このようなあらたな万引きの手口をはじめ、店内の保安員を見つける技術や、簡単に万引きができる店舗などは、驚くほどのスピードで犯罪者集団など独自のコミュニティに浸透すると考えるべきです。ICタグを活用したフルセルフレジを悪用した万引きの手口も特定のコミュニティで知れ渡るようになり(犯行手口が浸透し)、その結果一般のSNSなどに関連した内容が出現したものと推測できます。組織的な万引き犯同士の情報共有は、小売業者間の情報共有よりも優れているといわざるを得ません。

新しい万引きの手口とその抑止は、いたちごっこの状況ですが、防犯システムの進化により効果的な対策に期待が寄せられます。防犯カメラと連動した顔認証システムはすでに一部の小売業で導入されています。現在は、過去の万引き犯や万引き犯の可能性がある人物の画像と入店している顧客の画像とを照合して一致するかを判断する要素をAIが担っています。認証の精度は、マスクや帽子の着用でも若干の精度の低下があるものの見分けられるまで向上しているということです。さらに認証技術が進化することが容易に予想され、少ない画像からも見分けが可能になるはずです。さらには、歩き方の特徴から人物を見分ける技術もあり、顔認証など他の技術との組み合わせによってさらに精度の高いシステムが登場する可能性があります。すでに、アメリカのウォルマートで実用化されているAIを使った画像監視システムは、不審な行動を取る利用客を検出し、犯行前からマークすることができます。

日本でも万引き防止として、「顔認証データ」の活用により過去の万引き犯、または、その疑いがある人物が入店すると注意を促す仕組みが小売業で利用が広がりつつあります。書店大手の丸善ジュンク堂書店では既に顔認証システムの導入を始めています。大手書店がいち早く顔認証システムを導入した背景には構造的な理由があります。書店では、粗利益率が20%~24%程度と小売業のなかでは低い業態に分類されます。さらに、ネット社会の進展により、「本離れ」も深刻です。出版物の販売に当たっては、独占禁止法第23条4項の規定による「再販売価格維持制度」に基づく定価販売が定められています。

この再販制度とは、メーカーである出版社が決めた販売価格(定価)を販売会社や小売業者(書店など)に守らせる、いわゆる「定価販売」制度のことです。したがって、どの地域、どこの小売業者で購入しても同じ金額なのはこの制度によるものです。

本来はこのような「定価販売」制度は、独占禁止法により禁止されていますが、出版物による文化・教養の普及という見地から独占禁止法の適用除外とされています。書店などは他店との価格競争がない一方で、大半の商品は「委託販売」という形態をとるため、定められた期間であれば売れ残った本を出版社に返すことが可能な取引となっています。返品が可能な「委託販売」であるがゆえに、商品(出版物)の利益率が低く抑えられているものです。したがって、粗利益が低いにもかかわらず万引きなどの窃盗によるロスを発生させてしまうと経営に与えるダメージのインパクトは相対的に大きいものになります。このような利益構造があるため、書籍販売を主とした業態において顔認証システムの導入が比較的進んでいると考えられます。

顔認証システムなどを活用した防犯システムには、2つの問題があります。ひとつは、顔のデータに関するものです。個人情報保護法では、DNA、顔、虹彩、声紋、歩行の様態、手指の静脈、指紋・掌紋などを「身体の一部の特徴を電子計算機のために変換した符号」にした場合「個人識別符号」に該当し、個人情報と定義しています。

上述した通り、一部の小売業において導入が始まっている顔認証システムには注意が必要です。カメラで撮影した顔の画像から抽出した「顔認証データ」は個人情報と定義されます。個人識別符号のうち、「特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの」が「顔認証データ」を個人情報と定義することの根拠になります。これまで「顔認証データ」が個人情報に当たるかは曖昧でしたが、17年に遡る改正法で氏名や生年月日などと同じ個人情報と位置づけられました。

個人情報を取り扱う事業者は、利用目的を事前に公表したり、本人に通知したりする必要があります。したがって、防犯カメラを通じて収集したデータの利用目的を店頭に告知するなどの対応が必要であると考えられています。(経済産業省 「民間事業者によるカメラ画像を活用した公共目的の取り組みにおける配慮事項」)

このようなデータの収集には顧客や利用者の不安も大きいため、関係方面から「従来のCCTV(映像監視システム)のための管理規定では、管理面や情報利用の範囲において安全対策面が不十分な可能性がある」などの声があがっており、業界団体としても自主ルール作りが行われています。

さらに、プライバシー権の侵害にあたらないか法的なハードルもあります。データ取得に関する問題をクリアしたとしても、個人情報の第三者提供の問題があり、財産の侵害という例外規定を盾にしてもその活用が自由に行なわれるには、法的なリスクに鑑み事実上の制限があると考えられています。

もうひとつは、小売・サービス業における顧客心理の問題です。大多数の善良な顧客が「監視」に対して気持ちが良いか、という疑問です。顧客は潜在的にモノやコトの購入には本来、楽しさや喜びを求めています。そのような心理を無視することは、顧客の支持を失うことに直結します。「監視」性を技術の進展により和らげたとしても、顧客満足の追求と不正の抑止は小売・サービス業にとって、どこでバランスを取るかは経営判断とならざるを得ない永遠のテーマかも知れません。

「顔認証データ」は小売業においてマーケティングや防犯にも利用されつつあります。高度な分析や瞬時の判定など価値を創造することは間違いありません。一方で、お客様の権利や利益を侵害しない運用が求められます。そのうえで、事業者が最低限遵守しなければならない義務は十分に理解しておく必要があります。

防犯システムを導入しても最後に残されるのは、不正に対する対応です。最後はどうしても人が対応せざるを得ません。顔認証システムで過去の万引き犯やそれが疑わしい人物が来店した時に、どのように対応するのか防犯上の統制が定まっていないとシステムの効果は十分に発揮できないことになります。疑わしい人物が来店した場合、その情報をどのように誰に伝えるのか、その後のアクションは誰がどのように行なうのか、また、その人物のさまざまなパターンの行動にどのように対処するのか、それらが責任者と従業員に共有されていて組織的な対処が取れるかなどの統制をあらかじめ定めておく必要があります。技術進歩による新しい分野の法的な知見や万引き犯に対する対処のノウハウを組み合わせた専門性が必要になります。

このパートでは、万引きの手口や防犯システムについて考察してきました。店舗における万引きは、小売業にとって、そして社会にとっての現実です。そして、その現実を踏まえると、このようなロスは増え続けていくことが予想されます。まずは、万引き犯罪に対する従業員の意識向上や防犯プログラムを実行し、万引きが原因の商品ロス削減への肯定的な社風にまで昇華させる必要があります。そのなかで、万引き犯の手口を踏まえた防犯対策を検討しなければなりません。テクノロジーに頼り切るのではなく、従業員を巻き込み、それに関与させることが重要です。とはいえ、テクノロジーの進化は、小売業に、万引きロス削減のための有効な手段となり得ます。商品へのアクセスと商品そのものを効果的に管理することが可能になります。ただ、テクノロジーを扱うのは人間であり、ロス削減への意欲が高い従業員が不正に関する専門的な知識に基づいて、テクノロジーを有効に機能させることができるのです。その意味においては、店舗にかかわる責任者、経営者はリーダーシップとマネジメントを発揮して、よりよい人材の選択と能力開発を実施してロスを削減する体制作りが求められます。

革新的な技術進歩によりあらたなビジネスツールが登場し、それらを見てきましたが、最終的には価値の創造ができるかということになります。そのプロセスでは、それらの特徴を理解したうえでビジネスモデルとしての目的を明確にして活用することが求められます。そこには技術的な視点と経営的な視点との両方から戦略を考える必要があります。

参考文献

  • Laszlo Bock[2015]『ワーク・ルールズ』東洋経済新報社
  • Lee J[2016]『インダストリアル・ビッグデータ』日刊工業新聞社
  • Porter and Heppelmann[2016]『IoTの衝撃』DIAMONDハーバードビジネス・レビュー編集部編訳、ダイヤモンド社
  • Thomke and Manzi[2016]『人工知能』DIAMONDハーバードビジネス・レビュー編集部編訳、ダイヤモンド社
  • 三木良義[2016]『IoTビジネスをなぜ始めるのか』日経BP社

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