SPNの眼

「危機管理広報」の効用と限界
~緊急事態対応の要諦のポジションを守れるか~

2021.10.05
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総合研究部 専門研究員 石原則幸

囲み取材

1.はじめに

当社では、今月(10月)と来月(11月)と続けて、緊急事態対応と危機管理広報をテーマとしたセミナーを予定している。本稿は、その前説的意味合いも含めて、ご提示するものである。さて、筆者は、これまで当社のサイト内コラムでは、15年以上前の旧コンテンツ(「危機管理講座」など)時代から、数多くの記事をアップしてきた。特に、危機管理広報/緊急事態対応に関するテーマが多く、本コンテンツ(「SPNの眼」)では、以下の2本がそのテーマに関するものである。

また、少し前のコンテンツに「リスクフォーカスレポート」というものがあり、各々7~8回連載したものを、合体させさらに加筆修正した、以下の「統合版」3本をリリースしている。

「報合版」の第4弾として「広報とCSR/CSV/SDGs(仮題)」などの構想もあったのだが、現在はコンテンツ変更のため一旦休止。

直近では当社会員サイト内「QAコラム:緊急事態対応編」で、Q&A方式で10個の質問に答える形でも解説をしている。本稿とともに、上記の各コンテンツも併読していただければ、読者各位の理解も深まるものと確信する。ご確認していただければ幸甚である。

2.「危機管理」と「危機管理広報」

改めて、「危機管理」と「危機管理広報」の関係や定義を整理してみる。「危機管理」とは、二つの側面からの説明が可能である。一つは、リスクマネジメントとクライシスマネジメントの時間的連続体(連結体)であり、その繰り返しということである。したがって、二つ目として、それは当然、全社的連続的マネジメント活動に外ならない。つまり、「危機管理」とは「経営管理」そのものである。それは止まることのない連続的マネジメント活動であるから、そこには、平常時経営(リスクマネジメント)と緊急時経営(クライシスマネジメント)が、何度となく連結されるのである(もちろん連結回数は少ない方が良い)。

それでは、そのような全社的動態的(時系列)活動である「危機管理」に対し「危機管理広報」は、どのように対比され、位置付けられるのか。これもまた、二つの側面からの説明が可能である。

まず、一つ目の側面を考える。先に「平常時“経営”」と「緊急時“経営”」という言葉を使った。この“経営”を“広報”に置き換えてみてほしい。平常時広報と緊急時広報(危機管理広報)ということになる。また、ここに当て嵌まるのは、何も“経営”と“広報”だけではない。

企業の管理活動・事業活動の全てが当て嵌まる(総務・経理・財務・人事・法務・システム・営業・お客様相談室・生産・開発・設計・調達・物流等々)。

さて、いざ緊急事態が発生すると、その規模や種類にもよるが、多くの場合、緊急対策本部が設置される。これも発生事案の規模や種類によるが、対策本部長は通常、社長もしくはそれに準じる役員である。そして、本部内の各チーム編成は、上記の各部門部署から選抜招集され、それぞれの平常時の各カウンターパートとなるステークホルダー(顧客・株主・従業員・監督官庁・取引先・金融機関・マスメディア等々)に対する緊急時対応(謝罪・説明と今後の方策)を担当する。

このときに最優先されるのが、緊急事態となって、最重要なステークホルダーとして登場する被害者である。対策本部内の「被害者対応チーム」の出身部署は、発生事案の種類にもよるが、凡そ総務部が中心となることが多いと考えられる。もう一つ重要なチームとして、特定のステークホルダーとは直接的に関係するものではないのだが(間接的には大いに影響する)、当該事案処理・収束に向けた中核的活動を担うのが、「原因究明チーム」である。

このチームの出身母体部署は事案の種類によって、営業・販売、開発・生産・技術などの部門が担当する形になる。このチームによる原因究明が困難になる場合や中途半端になる場合には、対策本部が委嘱する社内調査委員会や社外の第三者調査委員会に原因究明が別途移管されることになる。さらに法令違反が疑われ、インシデントやアクシデントを超え、

企業不正/企業犯罪となれば、その先には行政による立入検査や捜査当局の(強制)捜査が待ち構えている。

次に二つ目の側面である。一つ目のアプローチとも重なるのだが、「平常時広報」と「緊急時広報(危機管理広報)」の区分をもう一度考えていただきたい。これを「コミュニケーション」という戦略概念/手法を用いて説明しよう。先に「『危機管理』とは、…リスクマネジメントとクライシスマネジメントの時間的連続体(連結体)である」と述べた。

同様に、「『危機管理広報(広義)』とは、平常時広報と危機管理広報(狭義)の時間的連続体(連結体)である」といえる。ここでやや混乱しがちになるのであるが、通常「危機管理広報」と呼ばれているのは、後者の「危機管理広報(狭義)」、すなわち「緊急時広報」のことである。前者の「危機管理広報(広義)」の方は、実は、「コーポレートコミュニケーション」のことである。

したがって、「コーポレートコミュニケーション」とは、「リスクコミュニケーション(平常時広報)」と「クライシスコミュニケーション(緊急時広報)」の時間的連続体(連結体)であると言って、ほぼ差し支えない。ただ、ここでまたより煩雑になるのだが、その“差し支えなさ”は、あくまでも広報論から見てのものである。

3.コミュニケーションという切り口

このコミュニケーション概念とは、言うまでもなく極めて戦略的なものである。「コーポレートコミュニケーション」という以上、それはまさしく全社的なものである。特定のコミュニケーション活動だけに限定されるわけではない。広報活動が中核的位置を占めるにしても、他にも広告宣伝活動やIR(インベスターリレーションズ)活動、さらにはお客様との対面(フェースツーフェース)コミュニケーションや機能横断的なWebコミュニケーションも含まれる。また、特定の経営局面におけるコミュニケーションに特化したものでもない(「リスクコミュニケーション」や「クライシスコミュニケーション」)。

そのような構造を持った上で、再度、「危機管理広報(狭義)」に焦点を当てると、「危機管理コミュニケーション」の広報的構成要素としての二つ、すなわち平常時広報(リスクコミュニケーション)と緊急時広報/狭義の危機管理広報(クライシスコミュニケーション)という位置付けが浮かび上がってくる。

広報的要素以外も含めた全社的な「コーポレートコミュニケーション」や「危機管理コミュニケーション」の結果(効果や成果)として、企業イメージやブランドイメージが形成(向上)されたり、毀損(低下)されたりするのである。それは全社的なコーポレートコミュニケーション活動の集積としてのレピュテーションによって決定付けられる。

また、レピュテーショナルリスクとして捉えた場合、それが実態との乖離や誤解などのリスクが生じた結果であるならば、それはコミュニケーション戦略の不備や不足に責が帰されなければならない。まさにリスクコミュニケーションの失敗であるが、戦略の変更による挽回は可能である(時間が掛かることが多いが)。

これに対し、緊急事態でのレピュテーショナルリスクは二重の意味がある。まずは、そのような事態を生じさせてしまったことによるダメージである。これは“信頼を裏切る”という形で審判され表出される。その上で、さらに対応に失敗すると、さらなるダメージが加わる。

記者会見での失敗などはその典型であり、連日批判的な論調が続くようだと信頼の回復は困難を極め、築き上げたレピュテーションは地に落ちることになる。その後は多くの関係先を巻き込んで、企業としての再生が模索されることになる。

4.対策本部内の広報チーム

話を対策本部内の一チームである「広報(マスコミ対応)チーム」に戻す。発生した事案の規模感によって企業側の対応体制が決まってくる。緊急対策本部が設置されない場合もあるし、対策本部内に「広報チーム」が不要とされる場合もある。後者は、当該企業にとっては大変な事態が招来したわけだが、社会的には大きな話題にはならず、マスコミも関心を示さないケースである。但し、この場合とて、展開次第ではいつ、どこで、どのようにマスコミの嗅覚を刺激することになるかもしれない(突然週刊誌から取材依頼のメールやFAXがとび込んだり、最近トップの自宅周辺を記者が彷徨くなど報道の気配が高まる)ので、「広報チーム」は用意しておいた方が良い。

対策本部内に「広報チーム」が編成される場合は、メディアの関心が高く、企業側もきちんとした情報開示が求められるときである。この際の情報開示手段としては、①HP公表、②ニュースリリース配信(①も併用)、③記者会見配布資料(①、②も併用)の3つがある。

(緊急)記者会見を開催する(要請される)ときは、当然メディア側の関心が最高潮になっていることの証左である。「広報チーム」はこれらの開示文書のほかに想定Q&Aも作成し、会見の段取りをしなければならない。また事案発生連絡の初期の段階から、一連の対応経緯を記録しておくためにPP(ポジションペーパー)を時系列に作成・更新していく重要な役割もある。PPには、全ての関係各所からのマクロ・ミクロの情報が網羅されるが、これはあくまでも社内文書なので、公表できることとできないことを仕分けしておく。但し、公表しなければならないことを公表できないことにしてはならない。

PPは上記の3つの情報開示手段の雛型になるだけでなく、他チームのカウンターパートたる各ステークホルダー向けの経緯説明や報告・謝罪などの基本型ともなるものである。これら対策本部の各チームから発信される各種文書の内容に整合性が保たれるのは当然のことである。そして、マスコミ(報道機関)向けの情報発信というものは、社としての公式見解そのものである。

筆者はかねてより、「広報の三大原則」を提唱している。それは以下の通りであり、全て企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)に裏打ちされたものである。

  1. Disclosure(情報開示)
  2. Accountability(説明責任)
  3. Transparency(透明性)

危機管理広報の局面では、これらがより一層強く要請されることは論を俟たないであろう。

5.テーマの再吟味

ところで、本稿のメインテーマは「『危機管理広報』の効用と限界」であり、サブテーマが、“緊急事態対応の要諦のポジションを守れるか”である。通常、緊急時の記者会見とは、出口戦略であり、一連の報道を収束させる役割を有する。それだけに上記の「広報の三大原則」をしっかりと踏まえたものでなければならない。そうでなければ、“出口”にならない。

次々と新事実を加味した続報が出てきたり、一旦収束した報道がコールセンターの回答や対応の失敗がネットに書き込まれるなどして、再度報道に火が点くというパターンもある。これは対策本部内の対応方針の不徹底などに起因する。

これらは「『危機管理広報』の効用と限界」を十分承知していなかったことにもよる。「危機管理広報の効用」を拡大するのも当該企業の丁寧で誠意ある統一された対応次第なのである。それと同じことが「危機管理広報の限界」を狭めることにも言えるのである。

つまり、それらの確固たる対応方針(含.決意や覚悟、責任の所在の明確化)があってこその「危機管理広報」戦略なのであり、これがツールや手段として万能なわけではなく、あくまでも使う方の意識と使い方の問題であることを忘れてはいけない。

「危機管理広報の効用」を拡大できれば、自然と“緊急事態対応の要諦のポジションを守れる”のである。ところが、現在企業広報とマスメディアがともに地盤沈下している印象を拭えない。Web広報やマーケティング広報を重視するあまり、「危機管理広報」のノウハウやスキルが多くの企業で追いついていない。

取り敢えずの目の前の危機を回避し乗り越えることだけに専念してしまい、各種文書の雛型やマニュアル重視に偏重してしまっている。これではスキルやノウハウもなかなか蓄積されない。さらに名だたる大企業が、何度も不祥事を繰り返し、その度に記者会見を開き、弁明と言い訳に終始している。これでは「危機管理」が「危機管理広報」の方向を指し示すことなく、また「危機管理広報」が「危機管理」にフィードバックされることもなく、さらには、再発防止策が再発防止効果を発揮することなく、不祥事が“再発”されている。

以前は、素晴らしい記者会見が危機を救ったとも言えるような事例もあったが、今ではそのような会見は皆無である。

近年の多くの企業不祥事に共通して見られる不完全な再発防止策は、当該不祥事を発生させた特定事業部門や事業所単位に、そこ向けに作成されたもので、全社的なものになっていない。つまり、「我々には関係ないな」と真剣に受け止めない他部署があるということである。あるいは、それを策定する(危機)管理部門の自己満足的な再発防止策に終わっている、さらには、各社の“タブー領域”には波及しない、形だけの再発防止策に止まっている(忖度)ことが多い。仮に不祥事企業でトップ交代があったとしても、社風や組織風土に改善や改革が見られなければ、また同じことが繰り返されるだけであり、実際そうなっている。

危機管理の観点から言えば、これらの事例は「危機管理方針」が「危機管理広報方針」に反映されていないだけではなく、ともに「方針」そのものが不確定・不明確・不安定なために外ならない。一方、メディアの側も官情報に癒着し過ぎて、その垂れ流し広報機関と堕している側面も否めない。“マスゴミ”と揶揄される所以である。

政治家・官僚と政治部の関係、企業と経済部・社会部との関係は、ともに良い緊張感を持って、バランスの取れた報道を期待するものである。当然のことながら、その前提として、的確な取材行為と適切な取材対応(広報対応)が丁々発止の中で組み合わされ、信頼関係とともに形成されていくことを望みたい。

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