SPNの眼
総合研究部 上級研究員 安藤 爵央
1.はじめに
内部通報制度の主目的は「企業の不正や法令違反等を早期に発見・是正すること」ですが、これまでに当社の内部通報外部窓口「リスクホットライン®」に寄せられた2万件超の通報のうち不正や法令違反に関するものは全体の5%程度です。一方で、人間関係=ハラスメント系の通報が50%を下回ったことがないというのがこの20年変わらぬ傾向です。中でも上司に対するものが30%以上を占めますが、大半が上司と部下お互いに改善すべき点があるもので、蓋を開けてみると通報者側にも問題があるケースが少なくないというのが実際のところです。ただ、人間関係のトラブルも放置するわけにはいきませんし、ハラスメント系の通報の中にも公益通報になり得るものはありますので、内部通報窓口でハラスメント系の通報も一元的に受けている会社は多くあります。どんな通報にも真摯に対応し、組織風土や内部統制の改善に繋げている企業も少なくありませんが、筆者が前職で内部通報の社内担当者をしていた時、感情的に過剰な要求をしてくる相手や、単なる不満としか思えない内容を繰り返し訴えてくる相手に辟易することは少なからずありました。そして気づくと「通報対応」ではなく「通報者対応」が目的となってしまい、通報に潜む本質的な問題や潜在リスクを見逃してしまいそうになったこともしばしばあります。本コラムでは、日々様々な通報と向き合っているリスクホットライン®の現場から、最近の通報の傾向を紹介しつつ、内部通報担当者がどのように通報者と向き合っていけばいいのかについて考えていきたいと思います。
2.近年の通報の傾向 ~担当者を悩ませる通報が増加
公益通報者保護法の2回目の改正法の施行を来年(2026年)に控え、通報者保護がさらに強化される見通しです。このことはもちろん良いことではあるのですが、この流れを逆手にとった独善的な通報者も増えており、内部通報担当者の負担となっているケースが多くなっています。ここでは、担当者を悩ませる通報者の傾向を紹介します。
(1)威圧的・攻撃的な通報者
いきなり「あの上司を放置してきた会社の責任をどう考えるのか!」「すぐにあの上司を処分しろ!」「さもないとマスコミに通報するぞ!」など、最初から威圧的・攻撃的な姿勢で接してくる通報者が最近目立ってきています。到底聞き入れられない要求や、ただただ上司や会社への批判を繰り返し、自分の要求が通らなければ何度でも連絡がくるというパターンです。長文メールや尋常ではない分量の資料が送られ、送ったそばから電話をかけてきて感情的な訴えが続くこともあります。送られてきた資料には目を通さなければならないので時間を取られます。このように自分本位な主張を感情的に繰り返す通報者への対応に万能薬があるかと言うと残念ながらありません。根気勝負になることも多いのが現状です。どうしても労力と時間がかかるため担当者のストレスも大きくなります。現在の筆者の立場は社内担当者ではなく外部窓口の人間ですので、このようなケースでは当社の担当者が間に立って、クライアント企業側が用意した最終回答を通報者側が諦めるまで繰り返し伝えるということも増えています。万能薬はないですが、当社が壁になることで契約社のご担当者の負担を少しでも軽減できれば…という意識でメンバー一同、日々対応しています。
(2)必要な情報を提供してくれない通報者
通報に対しては必ず何らかの調査が必要になりますが、「通報者探し」など、自身への不利益を懸念するあまり、調査に必要な情報を教えてくれない通報者は少なくありません。発生部門と行為者名だけ伝えられ、具体的な状況や行為内容は全く知らされないケースも多いです。匿名の第三者(自分は被害者ではない)とする人物が曖昧な情報をもとに上司の処分を執拗に要求してくるケースも増えています。このような申し出に不用意に対応してしまえば、何の改善にもならないどころか、噂や憶測が広まって組織に波風を立たせたり、行為者とされる人を不当に傷つけたりすることにも繋がりかねません。ではどうすればいいでしょうか。このようなケースの対処法としては、「調査に必要な情報を提供してもらえなければ、これ以上の対応はできかねる」として、通報者側に「情報提供するか」「取り下げるか」を選んでもらうことでいいと思います。公益通報者保護法の指針の解説でも、調査を実施しない『正当な理由』の一例として、「公益通報者と連絡がとれず事実確認が困難である場合」を挙げています。つまり、通報者側から事実確認に必要な情報が提供されない場合は調査をしなくてもいい(止むを得ない)ということです。もちろん、通報者が安心できる調査方法を提案したり、保護方針を伝えたりして対応させてもらえるように促す必要はありますが、振り回されないようにすることも大切です。
(3)過去の案件を通報してくる通報者
2022年の公益通報者保護法の改正で、退職後1年以内の退職者も保護の対象(=窓口の利用対象)となりました。その影響もあるのか、退職後に「上司からパワハラを受けていた」「当時の会社の対応に問題があった」「再調査を希望する」などと訴えてくる通報者が増えています。結果的に金員を要求してくることも多く、その背景に物価高等による生活苦やギャンブル依存に伴う借金があるケースもありました。このようなケースはいずれも、通報者が具体的な事象を示せず、調査不可能として終わる結果となっています。
一方で、在職中に実際に悪質なパワハラを受けていて、辞めてはじめて通報できたというケースもあります。2022年に実施されたパーソル総合研究所の「職場のハラスメントについての定量調査」では、ハラスメントを理由に離職した人が年間86.5万人いて、そのうちハラスメントが退職理由であると企業側に伝えなかった人が57.3万人いるという推計値が報告されています。ハラスメントに対処していないと、知らないうちに多くの従業員が退職している可能性があるということだと思います。もちろん不当要求的な通報に応える必要はありませんが、退職者から貴重なリスク情報が寄せられるケースもありますので、門前払いをするのは禁物です。退職者からの通報も一旦は話を聞いて調べることをお勧めします。
ここまで、担当者を悩ませるケースを紹介してきましたが、担当者が形式的な対応しかしなかったり、端から上から目線で突き放すような対応をしてしまったりしたケースでは、その後の連絡や要求が激しくなり、結果的に対応が長期化することが多くなります。「またアイツか…」などとして重要な情報を見落としてしまいそうになることも起こりがちなので注意が必要です。通報対応においては、毅然とした姿勢と寄り添う姿勢を上手く使い分けながら通報者対応を行いつつ、訴えの本質を冷静に見極めることが重要です。バランスのいい対応ができれば担当者への「信頼」に繋がり、重要な通報も上がりやすくなると思います。
3.ヒアリング調査のポイント ~通報者との向き合い方を考える
通報者は多くの不安を抱えており、それ故に情報開示を渋るケースは多くありますので、通報者の不安を和らげることは非常に重要です。当社はクライアント企業のヒアリング調査に立ち会ったり、代行したりすることがよくあるのですが、近年、ヒアリング調査をリモートで行うことが増えていて、最後まで通報者と対面で顔を合わせることが一度もないケースも少なくありません。リモートでも丁寧な対応は可能ですが、通報者の不安を軽減させるためにはやはり「対面」でのヒアリングが有効だと思います。お互いの目を見ながら会話をした方が安心感を与えることができるということは筆者の経験から言えることです。頑なだった通報者も「わざわざ足を運んでくれた」と感謝し、冒頭でのアイスブレイク的な雑談を交えれば明らかに態度が軟化します。多くの通報者は、ご自身の言い分を理解してほしい、立場をわかってほしいという気持ちを背景に持っています。対面で真摯に向き合い、聴く姿勢を示せば、大体は状況を話してくれますし、その時の様子から通報者の気持ちや体調なども肌感覚で確認できます。表情などからメンタル状況もある程度は計り知れますし、逆におかしな挙動(虚偽や誇張)にも気づきやすくなります。「ここだけの話」的な会話からポロっと本音が出ることもあり、それが後々の調査や方針決定に重要な役割を果たすこともあります。筆者も前職では自社案件でよく遠方まで出向き、通報者から直接話を聞くということを続けていました。電話やメールで不満ばかり訴えていた人から最後に「わざわざありがとう」と言ってもらえたことは、内部通報対応のやりがいのひとつであったと思っています。内部通報対応には、専門知識や論理的な思考力、駆け引きなども大事かもしれませんが、通報者に真摯に向き合えることこそが、担当者に最初に求められる技量・資質ではないかと考えています。
4.企業不祥事事例からみる内部通報の重要性
不祥事を起こしてしまった企業の調査報告書には、必ずと言っていいほど「内部通報制度が機能しなかった」「内部通報窓口が形骸化していた」といった記述が見られます。また、H自動車の事例をはじめ、上意下達の社風やパワハラが常態化していた環境が不正を誘発したと指摘された事例は枚挙に暇がありません。「言いたいことが言えない風土」が不祥事の温床となるということだと思います。最近の事例で言うと、6月に公になったJP社の点呼不備のケースでも「帳票が形式的に整っていれば検査等でも発覚しないという意識が蔓延していた」とされ、その原因は「風土」にあったと分析されています。声をあげづらい組織風土があったということですが、実はこの件では、2022年頃に内部通報を受けながら対策を取っていなかったとも報じられています。つまり、声をあげる人はいたということです。同様のことは過去に多くの企業で起こっています。「おかしい」と感じた人の声を社内で吸い上げ、早期に善処することが内部通報制度の本質であるところ、それができなかったケースはとても多いのです。では、それを解消するためには何が必要か。不可欠な要素は三つあると思っています。一つ目は、組織の長や利害関係者に知られずに対応できる通報ルートをしっかりと整備すること。二つ目は、そのルートに上がって来た通報への適切な対応を指揮できる人の存在です。この点では今後、監査役や社外取締役の役割がますます重視されることになると見ています。そして三つ目は、実際に制度の信頼性を高めたうえで、適切な対応をしていることや実際に改善につながっていること、信頼できる制度であることを、伝える工夫をしながら積極的に社内外にアピールしていくことだと思っています。
5.最後に
冒頭でも述べたように、内部通報の主目的は「企業の不正や法令違反等を早期に発見・是正すること」ではあるものの、実態としては「誰か」への不満を訴えるものがほとんどです。多くの愚痴や不満の通報を扱ううちに、最初から「この通報者にどう対応しようか」と落としどころばかりを探ってはいないでしょうか。人の不満を聞くのは楽しいものではなく、忍耐が必要ですし、何より担当者の負担が非常に大きいのは間違いありません。とはいえ、そのような声の裏にリスクが隠れていることは往々にしてありますので、本質を見失わないようにすることが大切です。少し顕在化したリスク(ミドルクライシス®)をいかに早期に察知し、善処できるかで会社の将来は大きく変わると言えます。組織の『風土』を変えるのはもちろん簡単ではありませんが、寄せられる通報の根本要因に目を向け、地道に手当していくことがその一助となることは間違いありません。内部通報の担当者の方々には、ぜひ『会社が存続するための重要な役割』を担っていることを再認識していただきたいと思います。本コラムが少しでも皆さまの励みになれば幸甚です。
参考文献


