リスク・フォーカスレポート

コンプライアンスやリスク管理に関するその時々のホットなテーマを、現場を知る
危機管理専門会社ならではの時流を先取りする鋭い視点から切り込み、提言するコラムです。

広報と危機管理編 第四回(2013.5)

 連載の4回目はこれまであまり触れられていない「広報とコーポレート・ガバナンス」の関係を考察します。不祥事の防止の観点から、両者がどのような接点を持ち、ソーシャルコミュニケーションを軸として、どのように交錯していくのかを見ていきます。

「広報とコーポレート・ガバナンス」

ガバナンス不備となる要因

 これまで、主に「社会的信頼性」をキーワードに広報コミュニケーションの社会性、即ち企業の社会性について述べてきた。この”社会性”を担保しなければ企業の存続はあり得ない。企業コミュニケーションもまた、この”社会性”がなければ成立しない。

 したがって、社会性を充足させた企業コミュニケーション、特に広報コミュニケーションが企業の社会性の基盤となる。この”企業の社会性”には「社会的」なるものが横溢し、「非社会的」「反社会的」な要因が入り込む余地はない。それ故「社会的信頼性」が、まさにキーワードとして当て嵌まるのである。また、社会的信頼性はレピュテーション形成の出発要因でもあり、獲得すべき目標にもなるのである。

 さて、社会的信頼の構築、あるいは社会的信頼の回復を目指していながら、ガバナンスが機能しない、ガバナンスが効かない状態ということは致命的である。企業不祥事がその発生プロセス・進行プロセスにおいて、リスク管理体制・コンプライアンス体制・内部統制システム等をすり抜けてしまえば、コーポレート・ガバナンスが健全経営の「最後の砦」とならざるを得ない。最後の砦といっても、それが万全という意味ではない。

 ただ、不祥事の実態や情報にすり抜けられてしまった上記三つの体制やシステムが、あくまでも、内部管理や内部監査の範疇であるのに対し、ガバナンスは、特に外部たる”株主の眼”から見た統治形態である。つまり、企業の所有者による経営の委託者への監視である。因みに、会計監査も外部監査ではあるが、監査の範囲は自ずから制約されている。

 「最後の砦」すら、不祥事に易々とすり抜けられてしまうようでは、その企業はそもそも社会的信頼を勝ち得ようとの意志がないものと判断されかねない。一方で折角、ソーシャルコミュニケーションの中核たる広報コミュニケーションによって、信頼性獲得活動を継続しているのに、他方で、危機管理体制全般、あるいは各種の危機管理システムが作動しない、もしくは、各種システムにもともと不備や欠陥があるということは、極めてアンバランスな状態と言わざるを得ない。それまで遂行されたコミュニケーションのコンテンツ自体に不信感を生じさせてしまう。

 この場合、広報コミュニケーションは、二重の意味で辛苦を味わうことになる。つまり、リスクマネジメントとクライシスマネジメントの連結したトータルの危機管理プロセスのなかで、前者で遂行されたリスクコミュニケーションに対する不信感のみならず、後者のクライシスコミュニケーションにおける不信感払拭という目的にとって障害となり、より大きな負担がかかり、当然説明責任の範囲も拡大せざるを得なくなる。

ガバナンスの社会的意味

 ここにコーポレート・ガバナンスにとっても、コミュニケーション、特にソーシャルコミュニケーションが介在する余地と関与する必要性が見通せる。広報とコーポレート・ガバナンスがどう関係するのかとの指摘もあるかと思う。もちろん、形式的にはコーポレート・ガバナンス報告書の作成・開示が関係してくる。そしてその内容、つまり、株主の状況、取締役会や監査役会の状況と構成(社外取締役や独立役員の有無・比率)、委員会設置会社かどうか、ストックオプションの導入や役員報酬の開示状況、さらには株主総会やIRの実施状況などを積極的に開示していくことはガバナンスを実効性あるものにしていくためにも、不可欠なコミュニケーション活動といえる。

 企業が経営上の失敗や失策をしたり、不祥事を発生させてしまえば、自己反省もするし、自浄作用もそれなりに作用するだろう。そのために、各種のルール・規程・マニュアル類も整備されているはずだ。さらに、前述したように、ガバナンスが最後の砦となっている。

 ところが、そのガバナンスが効かない、何故か。ルール等が形骸化したり、それ自体を無視する、あるいはその効力が及ばない聖域が存在するなどによって、効果を上げるべく導入した各種の仕掛け・仕組みが機能しないということだ。それ故に、企業統治の状況や実態に関する情報開示以上に今、ガバナンスに求められているのはソーシャルな視点である。そのソーシャルな視点を提供するのは、当然のことながら企業の内部ではなく、外部の眼である。

 外部とは誰か、もちろん社会である。より詳しくいえば各種・各層の社会構成員ということになる。企業もまた社会の一構成員であるが、企業統治に関しては当事者であるから、外部関係者から多様なコミットメントを受ける。その多様なコミットメントをガバナンスにフィードバックしていくのである。ここでいう外部関係者とは、要するに利害関係者のことである。利害関係者とのより良き関係構築を目指すステークホルダー・リレーションシップ・マネジメント(SRM)の観点から、コーポレート・ガバナンスを再構成・再構築するのである。

 株式会社なのであるから、所有者である株主の眼を意識する、また株主から監視されることで十分ではないか、そのためにストックオプションを導入し、また社外取締役も設置しているのだから、との意見が聞こえてきそうである。

 しかし、今や短期保有の株主・投資家が多いことも事実であるし、ストックオプションの付与による自己利益の増大にしか関心を示さない役員が増えたり、一人で十数社の社外取締役を兼任するなどの弊害も目立ってきている。つまり、株主だけの監視・株主の眼だけでは、コーポレート・ガバナンス上限界があるのである。

 かつて「会社は誰のものか」との議論が沸き起こった。確かに法的には株主のものだろう。しかし、大企業では株主が何千人も、何万人もいることを考え合わせれば、あまり現実的な議論ではない。「会社は何のためにあるのか」が同時に問われなければならない。

 ただ、その答えは簡単である。会社は世のため人のため、つまり、社会のために存在するのである。これは至極当然の帰結である。

 企業は社会の一員であるという事実以上に、大きな社会的存在であり、”社会の公器”とも称される。さらに、多くの企業が企業の社会的責任(CSR)活動を展開している。ましてや、反社会的などであっては、ガバナンスどころの問題ではなくなる。

 これらのことからも、企業が社会のために存在することは、明確に理解される。そして、社会的存在である企業を監査するのは株主だけでなく、社会(構成員)全体で統治する必要性と合理性が導き出されてくる。社会監査(ソーシャル・オーデッド)と社会統治(ソーシャル・ガバナンス)の導入である。特に、企業不祥事は結果的に”社会に迷惑を掛ける”し、社会的コストを上昇させるため、ソーシャル・ガバナンスの視点が不可欠なのである。

ソーシャル・ガバナンスという考え方

 まずは、ソーシャル・ガバナンスの考え方を整理したい。企業不祥事が発生するということは、その企業のガバナンスが効かなかったということと同時に、社会の要請や期待に応えられなかったということである。社会の要請や期待に敏感であるためには、絶えず外の声に耳を傾ける必要がある。

 企業体というものが、どうしても内向きにならざるを得ないとしても、自社の各ステークホルダーとのリレーション強化は図っていかなければならない。そのリレーション強化のプロセスで、利害関係者間の利害を調整しなければならないのだが、多様な利害の調整だけに止まらず、彼らの意見や要望、場合によっては、助言なども社会の声として、吸収していくのである。従業員・株主・顧客・取引先等々、内なる外の声、外なる内の声、あるいは声にならない声に真摯に向き合い、傾聴するのである。

 そうすれば、社会から自社がどのように見られているかについて、無頓着ではいられなくなる。それらの多様なステークホルダーは、まさに社会の各構成員に該当する。ステークホルダー・リレーションシップ・マネジメント(SRM)が対象とする利害関係者は、ルチである。つまり、マルチステークホルダーが相手である。これには他社のステークホルダーまで含まれるのである。ソーシャル・ガバナンスの統治主体たる社会の各構成員の方も、実はこのマルチステークホルダーに対応している。

 また、利害関係者は自らの利害ばかりを主張するだけと考えるのは、最早古い考え方であり、短絡的である。企業がCSRを遂行するのであれば、その企業のステークホルダーもCSR活動に賛同・協調すべきであり、またそれぞれの立場でソーシャル・レスポンシブルに振る舞うべきなのである。

広報コミュニケーションの役割

 現行の社外取締役制度もソーシャル・ガバナンスを補強できる。なにも、有名企業の社長・会長経験者や弁護士・会計士、あるいは官僚OBだけでなく、労組や消費者団体、各種NPO、さらにはマスコミ関係者など多様な分野に多様な人材がいるはずである。

 とりわけ、自社に対してシビアな見方を提供してくれる人を身近に置くことは、不祥事の未然防止や再発防止に役立つし、事実を隠蔽する動機や意図を持つことを許容しない。

 マスコミ関係者を社外取締役として迎え入れなくても、特に新聞・雑誌の論調には目を配るべきである。事実誤認や先入観に基づく報道に対しては、間違いを指摘した上で、堂々と反論すべきだが、もっともな批判・指摘に対しては謙虚かつ真摯に向きあうべきである。

 そのためにも、普段から広報活動を積極的に推進すべきなのである。ただ、広報コミュニケーションがソーシャルコミュニケーションであることを肝に銘じ、単たる商品PRだけにならないよう、併せて広聴活動も展開すべきである。

 幅広い取材領域を有するマスコミからの広聴活動は、社会の声・社会の眼を社内に取り入れる第一歩である。そのような忌憚のない意見を言ってくれる記者人脈を作るのも広報コミュニケーションが有する社会性の一つであり、無形資産ともいえる。

 さて、各ステークホルダーとの良好なリレーションシップは、言うまでもなくコミュニケーションによって形成される。ステークホルダー毎にコミュニケーションの主体となる部署は異なり、広報部はあくまでもマスメディアを相手としたコミュニケーション活動の担い手である。ただ、新聞を読み、テレビを見るのは特定のステークホルダーだけであろうか。そんなことはあろうはずもない。すべてのステークホルダーが頻度の多寡はあれ、マスメディアに接触し、その見方に多少なりとも影響されている。

 したがって、第一義的には、社内の各部署がそれぞれ特定のステークホルダーを相手として、リレーションを構築(即ち、コミュニケーションを継続)しているが、広報コミュニケーションは、そのすべてに対してフォローする責任がある。また、広報コミュニケーションはその社会性においても、影響力においても、コーポレート・ガバナンスに寄与しなければならないし、寄与できるのである。

 そして、各ステークホルダー間の利害調整は、利害調和となり、それがやがて社会とも調和する。社会と調和する企業は不祥事を起こさない、それがソーシャル・ガバナンスのソフトパワーといえる。

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