リスク・フォーカスレポート

広報と危機管理 番外編(2013.8)

2013.08.21
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「メディアリスクとソーシャルリスクと企業広報の立ち位置」

広報-メディア環境のリスク分析

 連載第6回の結びの部分では、複雑化するメディア環境のなかで、リテラシーの重要性がより一層増してくることを強調し、最後に、『「広報と危機管理の構図」をミクロだけでなく、マクロ的に把握することが非常に重要となっている』と締め括った。これについて、マクロ・ミクロ両面から補足説明していく。

 まず、企業の存在のあり方・立ち位置と直結する企業広報の体制整備・充実とは何かを考えてみる。この論点はあくまでも一社単独の、しかも、社内の体制・組織整備に関わることである。つまり、企業の内側の問題である。これが”広報活動の活発化”という段階に至れば、姿勢は徐々に外向きになり、その社会に対する開かれ度合いもいささかなりとも大きくなる。

 この広報体制整備の巧拙や強弱、開かれ度合いの広狭、メディア対応の習熟度合いなどによって企業広報リスクが決定される。さらに、その進行プロセスの途上で、リスクセンスを欠落させたまま臨む危機管理局面では、情報開示や説明責任の不足や不備を招き、致命的な痛手を被る結果にもなる。そうならないためにも、”広報活動の活発化”がやはり重要な段階と位置付けられる。ただ、この活動は企業の内側で完結するものではない。

 言ってみれば、企業広報とメディア(報道機関)との接触面(アクセスし合うこと)で実現・展開されるものであり、メディア側との交流・交誼ならびに軋轢・誤解などを伴う総体としてのメディアリレーションの場となる。この場は、企業広報リスクとメディアリスクが合流するエリアとなる。ここで企業側が陥りやすいリスクとして、リレーション拒絶とメディア選別があるので注意深さが必要である。メディアリレーションという双方向のコミュニケーション手段を放棄するべきではない。

 次に、メディア自身が抱えるリスク(メディアリスク)の層がある。これは、これまで本連載で何度となく論及してきた”劣化するメディア”、”暴走するメディア”、”発表ジャーナリズム”、”先入観に基づく取材”、”第一義的な情報操作の対象”などの問題である。

 さらに、最後に通常の情報(素材)提供と取材対応という広報活動以外に、権力や企業・団体が誘惑に駆られるメディアコントロールという一大リスクが待ち構えている。

 その上に、最後にこれらを全て包含し、取捨選択された報道結果が、社会・世論に影響(場合によってはリスク)を与えるという仕組みである。以上が”広報と危機管理のマクロ的重層構造”である。これらをもう一度、情報とリスクの重層構造内の流れとして、図示すると以下のようになる。

 企業・団体広報(含.宣伝/情報操作)→広報・メディア接触面→メディアの仕組み→報道→社会・世論→(企業・メディア双方に影響)

※これを「広報-メディアリスクモデル」と呼ぶことにする。

 実際は、上記のような単純な一方向の流れだけではなく、逆流したり、行きつ戻りつしながら、初期の目的(広報効果と情報操作達成)を果たそうと、挙動とパフォーマンスを意図的に繰り返す。したがって、それらの動作のあらゆる局面(コミュニケーション回路上)で必要になってくるのが、メディアリテラシーなのであり、それは新旧メディアの違いを問わない。「広報と危機管理」の関係や、それに関わるコミュニケーションの影響や効果を論じるには、今や、以上のような「広報-メディアリスクモデル」の特質を理解することから始める必要がある。

経営制度としての諸枠組み

 さて、以上のような広報とメディアの関わりが及ぶマクロ環境までをきちんと把握した上で、広報論も、危機管理広報論も展開されるべきである。そのためにも、広報・メディア環境より、さらに大きな社会環境や社会情勢の激変に対しても、不易流行の域には達せずとも、変わるものと変わらないものとを見分けられる眼識も求められてくる。

 従来の「広報論」を概括すると、あえて平常時と緊急時を区別することなく、広報機能のメカニズムや広報効果などが主要テーマとして設定され、コンテンツもそれに沿った構成・流れとなっていることが少なくない。そのため、習得されるべき広報知識の一つとして、報道機関・マスコミュニケーションの社会的機能に関する言及もなされる一方、「広報・危機管理論」としてセットで展開されるものは、その切り口・まとめ方として当然のことながら、緊急時にフォーカスしている。

 そのため「広報・危機管理論」のセットのなかでは、いわゆるクライシスコミュニケーションや危機管理広報と呼ばれる活動範囲・対象領域が、主要なモチーフとなる。

 内容的には企業・団体側が取るべき対応・整備すべき体制の話しを中心として、想定される一大イベントとしての緊急記者会見を念頭に置く。また、そこまでの開催に至らないまでも、多様な記者発表に関わる準備作業や諸注意点、ニュースリリース・HP開示文書、Q&A等、必要資料の作成などの具体的作業項目が羅列され、解説されている。

 しかし、それだけでは「広報・危機管理論」のカバレッジは狭隘に過ぎるといえる。何故なら、『広報と危機管理』という大きなテーマ(本連載)のなかでは、クライシスコミュニケーションや危機管理広報によって構成・説明される範囲は、あくまでも企業単位のミクロレベルの話しである。ミクロは当然マクロに影響されるため、マクロレベルとの繋がりを持った全体像として把握が重要なのである。

 そこで本連載では、第1回の「企業の基本的スタンスとしての広報」から第6回まで、サブテーマを付した。第2回以降のサブテーマは、「広報とメディア」、「広報とレピュテーション」、「広報とコーポレート・ガバナンス」、「広報とCSR」、「広報とメディアコントロール」であった。第1回は導入部として別扱いにするが、第2回以降の「広報と・・・」を「危機管理と・・・」に置き換えると、「危機管理とメディア」、「危機管理とレピュテーション」、「危機管理とコーポレート・ガバナンス」、「危機管理とCSR」、「危機管理とメディアコントロール」となる。巷間よく聞き、目にするテーマ設定である。

 ただ、これらの各サブテーマに関しては、広報活動・広報機能を介在させなければ、議論は中途半端に終わりかねず、隔靴掻痒の観が否めない。したがって、あえて「危機管理と・・・」を「広報と・・・」に逆に置き換えた。それにより、社内的ミクロ的視点をもこれらの各サブテーマが訴求する経営制度に還元させることにより、これまで議論が未成熟だった「危機管理広報論」の弱点を克服することを試みた。

 種々のサブテーマをあえて広報との関連で正面から取り上げることにより、ミクロ・マクロ両面及びその相互作用による議論の深まりの契機になること期待している。

 特に、コーポレート・ガバナンス、CSR、あるいはレピュテーションリスク、さらには、今回、サブテーマとしては掲示しなかった内部統制やコンプライアンスなどにしても、新たな経営制度としての枠組みとして提示され、導入されてきた経緯がある。

 しかしながら、それらと広報との関連が、リスクコミュニケーションとクライシスコミュニケーションの双方を内包した「危機管理広報」という概念や機能がすでに用意されているにも関わらず、軽視されてきたのは誠に残念である。

 本連載の前半で、企業の社会的信頼性やそれに応える広報のソーシャルコミュニケーションについて、何度となく言及してきたのは、そのような背景を踏まえた上でのことであった。

広報理念・原理原則への再帰

 それらのサブテーマ群として設定した各種用語は、何れも危機管理に欠かせない概念であり、危機管理体制の整備や内部統制の構築というアプローチに対して(若干の重複や屋上屋を重ねる部分があったとはいえ)、各々の役割どころが付与されてきたと見るべきなのであろう。

 上場企業であれば、有価証券報告書に「コーポレート・ガバナンスの状況」欄や内部統制報告書などが付され、それに関する社内組織図や社内フローチャート図なども記載されている。そこには、関連部署として、監査室・内部監査部・コンプライアンス部・リスク管理室・法務部・知的財産管理部、あるいは各種委員会などの名称が載っている。場合によっては、内部通報窓口やお客様相談窓口の担当部署まで含まれている。

 しかし、そのチャート内に広報部という名称が記載されることはまずない。これは広報の危機管理的役割に鑑みて、非常に不可思議としか言いようがない。

 そこで、この十数年間、危機管理体制の整備や内部統制の構築が叫ばれてきたなかで、広報がどのような位置付けを与えられたかをレビューしてみたい。

 かつては、広報戦略や戦略的広報などという言葉が先進的であると持て囃され、事実、緊急記者会見を含めた危機管理広報の重要性が指摘され、幅広く認識されてきたはずである。

 また、広報が有する社会性(ソーシャルな側面)は、ソーシャルコミュニケーションとして、本連載で再三指摘してきた。要するに、事件・事故・不祥事を起こしたことで社会に迷惑を掛け、多くの人に被害を及ぼしたことに対する謝罪・状況説明・原因究明等、一連の説明責任をどこの部署が果たすのか、ということだ。

 しかしながら、それが十分検討されることなく、また、省みられることも少なかったのではないかということを指摘したい。ところが、それ以前のもっと早い段階においても、実は広報の役割も軽視されたままだったといわざるを得ない。

 つまり、不祥事などの発覚後に、しばしば「社内の論理(常識)と社会の論理(常識)が乖離していた」と吐露されてきたことが挙げられる。

 この社内・社外の相違を一致させるのは、どこの部署の役割になるのだろうか。それは、もともとその活動とコミュニケーション内容に社会性を帯び、社会との距離感が最も近い広報が最適なのである。そして、最後に広報とCSRとの関連性・近似性も無視してはならない。社会的責任をコミュニケーション抜きで、一体どのようにして果たそうというのだろうか。これだけ広報の守備範囲は広く、その役割はとても重要なのである。

 ここで改めて、内部統制・ガバナンス・危機管理等の諸体制のなかで、広報部門と広報機能を如何に取り扱い・位置付けるべきかの問題意識が明確になるはずである。広報には、本来の、あるべき、担うべきポジションを正しく、明示的に占めさせるべきなのである。

 平時と緊急時を問わない広報活動の継続性の観点から正しく機能させれば、広報がリスク発生の抑止力(潜在リスク局面)にもなるし、リスク拡大の抑止力(クライシス発生局面)にもなり得ることが理解される。この機能は、他部署には荷が重過ぎるのである。やはり、コミュニケーションのことは、餅は餅屋でいくべきである。

 一方で、この危機管理体制の中枢から”外された(?)”経緯のなかで、広報(部)自体はどこを目指してきたのか。ソーシャルコミュニケーションよりマーケティングコミュニケーションに明確にシフトしてきたといえる。ともに広報コミュニケーションの重要な構成要素であるのだから、「何故、それが悪い」と舌鋒鋭い批判が聞こえてきそうだが、要は主と従のバランスの問題である。

 日本企業の広報セクションは、一律には言えないが、概ね以下のような変遷を辿ってきた。即ち、総務部広報課-広報宣伝部-広報部(室)-広報・IR部-広報・CSR部などである。しかしながら、昨今、再び広報宣伝部的な趣に傾斜している。

 これに対しても、即反論が飛んできそうである。「何を言うか、きちんとコーポレート広報と、ブランド広報に役割分担ができている」と。ブランド広報が、マーケティングコミュニケーションに限りなく近いことは誰にでも理解できるだろう。

 一方、コーポレート広報に十分な社会性が具備されているかどうかは疑問が残る。むしろ、内実は総務部広報課に先祖帰りしているのではないかと首を傾げたくなることが少なくないからだ。

 さらにもう一つ、以上の事柄の延長線上に捉えられるものとして、ウェブへのシフトが挙げられる。これはインターネット社会の進展から必然と見ることもできるが、広報の機能と役割をこれらに集約してしまうと、広報の関心領域が本筋からズレたままになってしまう。これでは広報が、危機管理を含むソーシャルコミュニケーションという重責を担うことなどできない。

 それはここ数年の大手企業の不祥事等を見て分かるように、一連の危機管理プロセスのなかで、ソーシャルコミュニケーションとしての広報が、全く機能していない、関与していない、もっと言えば無力であると思しき事例が多いことからも分かるだろう。

 危機管理体制や内部統制の構築に当たって、その重要な一角を広報に占めさせなかったツケが回ってきているのである。重要な情報が広報部長にまで上げられていない、また、広報部長の権限自体が脆弱であるということは、その企業のトップの広報観・社会観を如実に物語るものである。

 普段マスコミに登場・露出する機会が少ないトップでも、この辺りの事情を熟知し、マスコミ対応の重要性を十分認識する感覚(リスクセンス)を保有していれば、広報組織を全社的視野のなかで整備し、広報部長に相応しい人材を任ずるはずである。そうなれば、広報部長が自らのミッションを見誤ることなどもない。

 今、改めて、広報はより強く危機管理的要素と社会性を具備することが求められているのである。そして、何よりも広報自らがそれを強く意識する必要がある。

 メディアリスクとソーシャルリスクというマクロ的環境と要因に対応しつつ、自社の危機管理体制構築(柔軟な強化=リジリエンシー)に十分に貢献できるだけの広報組織・広報システムの再構築が迫られている。ただ、そのためには、広報も基本と理念に立ち返らなければならない。

 繰り返すが、広報こそがソーシャルコミュニケーションの中核足り得るのである。これをセットで考えれば、他のいかなる部署と他のいかなるコミュニケーションとの組み合わせによっても、充足できないのである。

 それ故、軽率に時流に乗ることなく、また、周囲の喧騒に囚われることもなく、広報は存分に、その用意された王道を歩み続けなければならない。それによって、”社会の公器”として、社会性を付与され、期待されている「経営」そのものが王道を踏み外すことを防ぐのである。これを危機管理と言わずして、何と称するべきか。

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