リスク・フォーカスレポート

緊急事態対応の理論と実際編 第一回(2014.4)

2014.04.17
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 本日より、「リスクフォーカスレポート」のテーマが変わります。今月から『緊急事態対応の理論と実際』とのテーマで連載(6回予定)が始まります。一口に緊急事態といっても、企業規模、事案の種類や大きさ、さらに社会に与えるインパクトにより、千差万別な構図を有しており、その後の展開も一様ではありません。本連載では、そのような”緊急事態”の多様性に着目しつつ、付随する緊急記者発表との相関性を、その機能と役割に焦点を当て、解説していきます。

1回「緊急事態対応と広報の連動」

緊急事態の整理

 一般的に、”緊急事態”が企業や団体等でどのように定義されているのだろうか。各企業においては、若干名称の違いはあるにせよ、上位概念として、「危機管理規定」があり、次いで「緊急事態対応(危機管理)マニュアル」があり、その下に、「広報マニュアル」があるであろう。

 また、たとえ緊急事態といえども、否、緊急事態であるからこそ、危機管理規定のさらなる上位には、不動の地位として「経営理念」が座すべきである。ところで、この経営理念を、最上位概念とする原理原則体系には、これとは別にもう一つの系統がある。それは、「コーポレート・ガバナンス体制」-「内部統制基本方針」-「コンプライアンスポリシー」-「CSR活動」といった流れである。

 緊急事態には、事件・事故・災害・不祥事・スキャンダル等広範な事態が含まれるが、後者の系統が十全に機能していれば、それら緊急事態の想定も、それに備える活動範囲も自ずから、ある程度限定される(できる)と考えるのが自然であろう。そうでなければ、この系統の存在意義が問われるというものである。

 不慮・不測の事故・災害に対する備えは絶対に必要ではあるが、不祥事やスキャンダルに対しては、備えというよりも、”起こさない仕組み”がこの系統には、組み込まれていなければならないはずだからである。しかし、現実はそうはいかない。それ故、相反するようではあるが、逆に、”起こることを前提”とした前者の系統が、両系統を相互補完するために用意されているのである。それは、何のためか―もちろん、社会的コスト・損害ならびに自社コスト・損害を最小限度に抑え、事態の早期収束を図るために外ならない。

緊急事態対応と広報対応の重複

 それでは、「広報マニュアル」の位置付けはどうなっているのであろうか。「平時広報編/緊急時広報編」を一括して総合版として準備されているか、「緊急時広報編」のみが「緊急事態対応(危機管理)マニュアル」内に組み込まれているかのどちらかが多いようである。一概には言えないが、前者は広報部が設置されている上場企業に多く、また後者は独立した広報セクションを持たない非上場企業に多い傾向が見られる。

 また、「緊急事態対応(危機管理)マニュアル」には、対策本部の設置要領や設置基準が記述されているはずである。対策本部内の組織編成はチームや班などによって構成されるが、各班は自らの担当ステークホルダーと緊急時において、平常時にも勝る良好なリレーションを、コミュニケーションによって実現・維持していかなければならない。

 その活動の中で重要な位置を占めるのが、広報班なり、メディア対応チームである。やや、乱暴な言い方をすれば、対策本部内に広報班がないということは、マスメディアからの取材や記者会見開催要請の可能性が極めて低いとの判断に基づいており、それ以上に、対策本部の設置自体の必要性もなかったことをも示唆している。つまり、複数部署の連携にて十分対応可能なレベルの”緊急”事態であったともいえるのである。これは発生事態レベル(例えば、ABCなど)の設定と判定にも関わる問題である。

 いずれにしても、広報部を設置していない企業でも、緊急対策本部に広報班(担当)を編成するということは、当該発生事態が社会的に注目され、マスコミも関心を寄せている事態であるとの的確な状況認識から発しているといって良い。

 もともと広報部がある企業にとっては、広報部内の報道チームがそのまま対策本部広報班にスライドすることになる。因みに、対策本部内の他のチーム―例えば、顧客対応班とお客様相談室や営業部、株主対応班と総務部やIR部、社内対応班と人事部などの関係も同様である。

 さて、一般的に緊急事態対応での失敗、あるいは具体的事例からの教訓として、実際に多く語られ、分析の対象として取り上げられているのは、大部分が緊急記者会見を含めたメディア対応を中心とした事例なのである。別の見方をすると、記者会見の失敗は枚挙に遑がないが、対策本部の失敗はあまり知られていない。何故だろうか―。

 先に述べたように、対策本部に広報班がなければ対策本部の活動はおろか、対策本部の設置自体が世に知られることはない。HP上での開示もする必要がない事態であるとの決定がなされていれば、尚更である。つまり、そのような場合は、対策本部の失敗や若干の不手際があっても、あくまでもクローズドな処理で事が済んでしまう範囲であり、レベルであることを物語っている。社会的には、ほとんど注目されていない事案・事象であるといっても良い。

 もちろん、その企業にとっては一大事であったかもしれないのだが、このときのレピュテーションの毀損や信用の失墜も、あくまでもクローズドな範囲に限定されるのである。

 ただ、このような事態レベルであっても、対策本部の失敗や不手際が重大で致命的であれば、それはやがて、ネットの書き込みやメディアからの取材によって表面化してしまう。

 マスメディア側の論理からすれば、報道して社会に広く知らしめるもの、つまり、ニュース価値を与えてしまうことになるのである。

 こうなると対策本部内に広報班が用意されていないだけに不慣れさも手伝って、より悲惨な状況を呈することになる。マスコミと世間からのバッシングの嵐を受けながら、最悪の場合、会社が潰れることもある。クローズドな処理で事が済みそうな事態レベルであったことは、不幸中の幸いともいえなくもないが、限定された範囲だからといって、マスコミの眼(社内の眼)を意識した慎重で、注意深い対応は決して怠ってはいけないのである。

 この一連のプロセスは、元の発生事態が一時被害、対策本部の失敗が二次被害、広報対応の失敗が三次被害ともいえるが、ここでは失敗の大きさからして、実質的には二次被害の局面で、新たな別の緊急時事態が引き起こされたと見て良いくらいである。

記者会見の失敗・失態

 それでは、セミナーや書籍などで事例として多く取り上げられる緊急記者会見を含めた一連のメディア対応の失敗の実態はどうなっているのであろうか。前述した対策本部の失敗との相違点と共通点を見てみよう。緊急事態における緊急記者会見は、事態収束と信頼回復に向けた契機とすべき出口戦略として位置付けられるから、その意味では、本来失敗することがこと自体がおかしな話しなのであり、よりシビアに言えば、失敗は許されない局面であるはずなのである。

 記者会見が開かれるということは、その場の状況や遣り取りが基本的に公開されていることなのである。従来であれば、会見の一部や要約が、TVニュースや新聞記事となって視聴者や読者に伝えられた。もちろん、そこにはキャスターや記者の論評が加えられるので、視聴者や読者はその事実を背景や影響に至るまで、より詳しく把握することができる。

 現在では、インターネットで会見の様子を一部始終動画で見ることができるようになった。したがって、会見の場での失言・失態・拙劣さは、拡散の連続によって、大袈裟に言えば全国民が知るところとなる。

 それでは何故、記者会見で失敗するのであろうか―。対策本部の失敗との比較から何が言えるだろうか。まず、緊急会見開催前の対策本部の活動に失敗はなかったとする。

 しかしながら、そうだとしても緊急事態が発生した事実、その原因と影響(被害)範囲、それに対する対処・解決の内容・仕方・実行、そしてその結果事態が収束に向かい、今後社としてどのような方針・方策を採っていくのか等々を説明しなければならない。

 対策本部に失敗がなかったとしても、発生事態の重大性や波及度合い、また当該企業の規模・著名度に鑑み、説明責任を果たさなければならない。また果すことが求められるのである。

 ここで重要なのは、実は緊急時であろうとなかろうと、嘘は吐かない、誠実な対応を心掛けるなどの広報の基本中の基本をしっかり踏まえていれば、それ程大きな失敗に結び付くものではないということである。当初の予定通り、基本や原則を外さなければ、出口戦略が文字通り出口戦略として、しっかり機能することになるのである。

 よく”ピンチをチャンスに変える”などということが言われるが、それはこのように対策本部の失敗もなく、さらに緊急記者会見で失敗することもなく、むしろ誠実で見事な危機対応をしたと評価されたときにしかあり得ないのである。これが緊急事態発生前よりも多くの信頼を獲得するプロセスとなるのである。

 これと全く逆のパターンが対策本部の失敗はなかったものの、記者会見で失敗してしまうことである。これは、会見出席者である経営陣が記者会見を始めとした広報の機能や目的、さらにはマスコミの役割・影響力を全く理解していないことによって起こる。対策本部は失敗していないのだから、わざわざ、会見で嘘を吐くとか、隠蔽するなどの動機は生じようもない。

 それなのに失敗するのは何故か―。最もよくあるパターンは、不用意・不適切・不謹慎な発言、あるいは横柄・尊大な態度・対応、他者・第三者への責任転嫁等である。

 要は、状況に対して高を括っているのである。現在、自分(自社)が置かれた立場を理解していないか、勘違いしているのである。嘘や隠蔽の動機はなくても、一部には保身や責任回避の心理状態に陥ってしまうことなどが失敗要因となる。

 しかし、これとて対策本部が何ら責められるべき失敗を犯していないのだから、緊急記者会見という場で、何も保身や責任回避の心理状態になる必要性は全くない。

 そのような心理が記者会見の場で最も相応しくなく、冷静に考えれば、採ってはならない選択肢であることは容易に分かるはずである。このような点にも、普段からの広報活動が危機管理にとっても、非常に重要であることが理解されよう。かくして、本来出口戦略であるはずの場が閉ざされ、出口が見えなくなるのである。

 もう一つ、最悪のパターンを考えてみよう。世の中で、緊急事態対応の失敗(実は緊急記者会見の失敗)として語られる多くの事例のことである。何故、”実は緊急記者会見の失敗”かというと、対策本部の対応に多少の不手際があったとしても、会見の場で失地を回復することは可能だからである。とにかく失敗や責任を率直に認めて、謝罪し、不手際を挽回する手立てを早急に講じたこと、それが効果を現していること、さらに今後の方針等を明確に表明し、それが受け手であるマスコミや国民に納得してもらえる十分な内容を含んでいれば、それが可能なのである。誤解を解く場合なども同様である。

 もちろん、伝え方などの技術的問題もあるが、それより何よりも大切なのは、誠実さであると改めて肝に銘じたい。これは、先の”ピンチをチャンスに変える”ための基本である。また “風向きを変える”ことも出口戦略のためには必要であるが、”反転攻勢”となると、緊急事態においては、やや言い過ぎで違和感を抱かせる。反転攻勢の前提が不十分であれば、できる相談ではない。

各種失敗の原因

 それでは本当の最悪パターンとは何か―。それは、対策本部の対応や活動が失敗した上に、緊急記者会見でも失敗することである。言ってみれば、”恥の上塗り”ということである。この場合、恥を恥と思わない(思えない)感覚が醸成されてしまった当該企業の社内風土が問題なのであるが、これについては、これまでいろいろな言葉で表現されてきた。リスクセンスの欠如、社内論理優先、当事者意識の欠如、社内の常識が社会の非常識、近視眼的思考、思考停止状態等々である。また、これらはもともとが緊急事態の発生要因の有力な候補群でもあり、対策本部の失敗と緊急記者会見の失敗のそもそもの原因にも名を連ねる。

 具体的には、対策本部の対応の遅れやミス・不手際などがありながら、記者会見でそれを認めず、あるいは隠す、嘘を吐く、責任を回避または転嫁する、開き直る、公表が遅く後手に回る、または記者会見自体が開かれない、開かれても責任者が出席しない等々により、対策本部の失敗と緊急記者会見の失敗が連動し、マイナスの相乗効果を生み、緊急事態対応そのものに大失敗するのである。

 また、対策本部の設置には直接関係ないものの、緊急事態発生前からリスクとして指摘・報告されていながら、それを無視し、放置し、改善しなかった、あるいは積極的に認識しようとしなかった不作為の場合も、それらが現実に緊急事態として発生し、発覚されて、嫌々緊急記者会見となった場合も、説明責任が果せなければ、同様のロジックで説明できるのである。

 緊急記者会見での失敗は大別すると、一つは主に対策本部による初動対応ミスの言い逃れや隠蔽と、もう一つは対策本部の失敗の有無に関わらない会見時の広報対応ミス(結果的に記者や国民の反感を買う態度・コメント)ということになる。

 さらに、後者の場合は、広報部の社内における位置付けにも影響される。つまり、平常時においても、緊急時においても、重要な情報がマスコミ対応の最前線である広報に回ってこない、回ってきても記者会見が目前に迫ってから準備不足のままというケースも、意外と少なくないのである。

 広報部門への重要情報の連絡遅れが、結果的にその企業のレピュテーションを著しく毀損してしまうことに対する理解は今や不可欠といえる。

 いずれにしても、対策本部の失敗と緊急記者会見の失敗は連動しており、負のスパイラルともいうべき状態に陥る。そして、社会的にも大いに注目を集めるから、既存メディアも、ネットメディアも巻き込んだ”大炎上”となってしまうのである。それ故、以降の教訓事例・失敗事例として選ばれ、語られてしまうのは、至極当然の結果なのである。

 今後も、折に触れて、緊急事態における広報の重要性を触れることになるが、これは一言で言ってしまえば、企業側が能動的であれ、受動的であれ、緊急事態対応においては広報の要素が胚胎しているからである。

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