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「かとく」発足が示唆するこれからの労務コンプライアンス(2015.9)

「かとく」発足が示唆するこれからの労務コンプライアンス

 先日8月27日、大手外食チェーンA社が大阪府と京都府の計17店舗で従業員に違法な長時間労働をさせていたとして、大阪労働局と京都労働局は、同社と各店の店長ら16人を労働基準法違反の疑いで大阪・京都両地検に書類送検した。去る7月には、大手小売チェーンB社でも従業員に月100時間前後の違法な残業をさせていたとして、東京労働局が同社と役員・店長2人を労働基準法違反の疑いで書類送検していたが、その際に話題となった、厚生労働省(長時間労働削減推進本部)が過重労働対策の一環として新設した過重労働撲滅特別対策班(通称「かとく」)が、今回改めて注目されるに至った。また合わせて、報道によればB社には賃金未払いがなかったということを受けて、監督行政による長時間労働そのものの是正に対する本気度を印象づけることとなった。

 ここで着目すべきは、「かとく」という象徴的な組織それ自体の動向ではない。一般に立法や行政は社会の要請に応じて遅行的に変化するものであることからすれば、長時間労働の「撲滅」をはじめとした労務コンプライアンス違反の放置を許さないとする社会的気運(いわゆる「ブラック企業」問題を含む)が、いよいよ企業にとって焦眉の課題になったことを読み取るべきである。

 そこで本稿では、いま企業の労務コンプライアンスが迎えつつあるパラダイムチェンジについて概観するとともに、それではいざ労務コンプライアンスを推進・再徹底しようとするに際して留意すべきポイントについて解説してみたい。

労務コンプライアンスのパラダイムチェンジ

 長時間労働削減推進本部は、アベノミクス3本目の矢となる成長戦略として策定された「日本再興戦略」改訂2014(平成26年6月24日閣議決定)に「働き過ぎ防止のための取組強化」が盛り込まれたのを受け、昨年9月30日に塩崎厚労相を本部長として設置された。その背景には、同年6月に「過労死等防止対策推進法」が成立したように過労死(自殺)やメンタルヘルス不調による労災予防といった喫緊の課題と合わせ、女性や高齢者、更にはニート等と称される若者の労働市場への取り込みといった労働力の確保、余暇増加による消費増大などの経済政策がある。いずれにしろ、「残業代ゼロ法案」などと呼ばれ労働者に不利益な改正というイメージが先行した今回の労働時間法制改革が、実は強固な長時間労働対策を前提にしていることは以前の寄稿で解説した。この一連の流れの中で、監督行政では平成25年9月の「若者の『使い捨て』が疑われる企業等への重点監督」に引き続き、昨年11月には「過重労働解消キャンペーン」として継続的に重点監督を実施している。

 更に、今年1月からは月100時間超の残業が行なわれている事業場等について監督指導を徹底し、法違反を是正しない場合には送検・企業名公表も辞さないという対策強化を行なった。続いて5月には、「長時間労働に係る労働基準法違反の防止を徹底し、企業における自主的な改善を促すため、社会的に影響力の大きい企業が違法な長時間労働を複数の事業場で繰り返している場合、都道府県労働局長が経営トップに対して、全社的な早期是正について指導するとともに、その事実を公表する」という、ある種の見せしめ的な制度を導入するなど、実に本気度が窺われる。「かとく」という組織も、こうした過重労働対策強化の実効性を高めるために創設されたものに他ならない。

 なお、長時間労働対策以外にも、行政はパワーハラスメントに対する監督を強化しており、合わせてそれに対するメンタルヘルス面でのケアを企業に求めている点も見落としてはならない。

 以上はいずれも監督行政による対策の強化、運用の厳格化であって、企業のコンプライアンスとしては従来と変わらないという見方もある。実際に自社が書類送検や企業名公表に至ればダメージは大きいが、例えば公開されている企業名公表の対象基準に当てはまらない企業ならば、まだまだ先延ばししていても実害はない、と考えてしまう場合もあるだろう。

 しかし、法令や行政に強制されずとも、既に現在の企業活動は、労務コンプライアンスの徹底が競争力に直結、あるいは間接的であっても強力に影響する事態を迎えている。その一例が、いわゆる「ブラック企業」問題である。

 「ブラック企業」には明確な定義がない。今や毎年の受賞結果がニュースになるほどに注目されている「ブラック企業大賞」のホームページでは、その定義を「①労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いている企業 ②パワーハラスメントなどの暴力的強制を常套手段として従業員に強いる体質を持つ企業や法人」とし、その指標として、長時間労働、セクハラ・パワハラ、いじめ、長時間過密労働、低賃金、コンプライアンス違反、育休・産休などの制度の不備、労組への敵対度、派遣差別、派遣依存度、残業代未払い(求人票でウソ)などを挙げている。インターネット掲示版等では、もっと主観的・印象的な「ブラック企業観」のようなものが無数にあり、法令を遵守していれば「ブラック企業」の評定を免れるとは限らないところが重要な点でもある。

 こうした風評の影響は、企業イメージの低下となって企業活動を委縮させる。消費者離れによる売上減少といった直接的な損失から、優秀な人材を得づらいことによる将来の競争力低下にまでつながりかねない。長時間労働問題が話題になった某大手居酒屋チェーンでは、新卒社員採用が計画の240人に対し半数しか獲得できず、働き手不足から全体の1割相当にあたる60店舗を閉鎖すると発表した。最近の構造的な働き手不足を割り引いても、深刻な影響と言わざるを得ない。

 「ブラック企業」問題の影響は社外ばかりとは限らない。仮に会社がコンプライアンスを徹底しているつもりでも、実態は(一部でも)サービス残業による隠れ長時間労働やハラスメント問題が横行している場合には、従業員も自らの会社を「ブラック」と認定する。当社の調査実例でも、詳しく調べてみればごく一部で行なわれていた長時間労働やパワハラが「自社の体質」として過剰に認識されていたことがあった。このような「うちの会社はブラックだから…」といった意識は、従業員の意欲や規範性を相乗的に低下させ、疑心暗鬼的な強い被害者意識に基づく内部告発の増発、自己の行為を正当化した内部不正の横行、責任意識やモラールの低下に伴う事故の頻発といった危機を増加させる。当然、生産性は低下し、優秀な人材の流出も避けられないなど、事業の存続を脅かしかねないものとして注意を要する。

 「ブラック企業」という例さえも縁遠く感じられる企業は実際に多いと思われるが、そこには明確な定義がないからこそ、いずれの会社もいつ社内外からブラック認定されかねないという認識が必要であろう。

 このように労務コンプライアンスは、企業が自らの競争力を維持・向上していく上で不可欠な取組みとして位置づけられる。それは、従来的なサービス残業やハラスメントの防止といったネガティブ項目にとどまらず、昨今の法令の制定・改正に見られる非正規従業員の地位向上や女性の活躍推進といったポジティブ項目まで含め、企業の実態に合わせ社会の要請に適応(できれば先取り)して行かねばならないものである。

 法令の遵守については当然にして最速での違反解消を、そして(以前には厚労省も「労働CSR」として積極的に取り上げてきた)法令を超えた取組みも、それが既に社会の要請するレベルであるならば必須の課題として取り上げる必要があるということである。

 厚労省は今年6月より、「安全衛生優良企業公表制度」(Wマーク)を創設し、前記したようないわゆる「ブラック」の公表に対し「ホワイト」の公表制度を設けた。その認定取得メリットには、①企業イメージの向上、②社員の働く意欲向上、③求職者へのPR、④取引先へのPR、⑤安全・健康確保による生産性の向上が挙げられている。こうした新制度もまた、既に労務コンプライアンスが「コスト増加要因」から損失抑制や生産性向上による「競争力強化要因」として捉えられるべきパラダイムチェンジの時機を迎えた象徴と言えよう。

労務コンプライアンス推進時の留意点

 既に労務コンプライアンスをまさに「競争力強化要因」として捉え、是正や強化を図っている企業も多い。そうした企業よりご依頼をいただき、当社が労務コンプライアンス体制の実態把握や問題抽出に向けた調査を行なった事例も多く蓄積されてきたが、残念なことにそれらの一部には、当該企業が全く想定していなかった法令違反が伝統的に存在していたり、是正したはずがかえって悪化を招いていたりといった不幸な例も見られた。その典型例を概括すれば、大きく以下の2つのケースがある。

 まず第1は、会社側の主観に基づくルールと実態との乖離により、コンプライアンス違反が潜在化してしまうケースである。これは、ことの大小はあれども、管理業務においてはしばしば経験することであると思う。

 例えば、特定の曜日をノー残業デーにする、一定の時間で強制的に退社させるといった施策を行なったとする。残業時間は著しく短縮され、長時間労働は書類上、目に見えて是正されたかに見える。しかしながら、ノー残業デーの夜間に、あるいは残業禁止となる一定の時間以降にいくつかの事業場へ実査に伺ってみれば、まだ複数の従業員が勤務していた、といった例は珍しくない。ヒアリングしてみると、そもそも定められた時間内で業務が終わるはずがない、求められる成果は変わらず時短だけを行なうのは無理だ、といった声が聞かれる。それでも職務に対する責任感や意欲、あるいは目標管理・人事評価に対する不安から、相変わらずの長時間労働が続けられていたのである。

 いくつかの問題点に気づかれよう。

 こうした企業では、以前までは申告されていた残業時間が申告されなくなり、サービス残業(法令違反や未払労働債務等)が発生してしまった。そして、労働時間そのものが把握できなくなったことから、それなりに手段を講じていた長時間労働が無管理状態で放置されることになってしまった。これではいつ心身の健康被害が生じてもおかしくない。

 また、責任感と意欲で頑張る従業員も、いつ不満がそれに勝るかは分からない。時短を口実にした人件費抑制なのではないかという疑問が生じ、状況を改善できない上司に不信感を募らせ、その憤懣がいつ内部不正や労使間トラブルの原動力に転化するとも限らないのである。

 このように、実態を伴わない形式的な長時間労働対策は、かえって労務管理の不備を生じ、危機発生の懸念を高じさせてしまいかねないと言えよう。

 主観が先行し実態を把握できないことによって問題が潜在化する例は、多少趣は異なるが、ハラスメント問題においても散見される。例えば、一般的にはパワハラと認識される指導・育成が当たり前のように行なわれている企業では、往々にして幹部社員はその異常性に対し麻痺状態であり、内部監査でも特に問題として取り上げられることもない。たまに内部告発等で問題が顕在化しても、それは「(被害を訴えた従業員の特性による)特異な例」として片づけられてしまい、危機の前兆として認識されることはない。このようなハラスメント体質の企業の主観では、被害の実態は把握されないまま正常状態として見過ごされ、甚大な危機の発生まで放置されかねないのである。

 第2は、形式上は時短に成功しているものの、組織の脆弱化を招いているケースである。一人あたりの労働時間を短縮するのは良いが、それに伴うリスクに十分配慮できていない場合に生じやすい。

 例えば、交代制勤務において交替員間の引継時間を短縮・削除したために、連絡不備によるミスが多発化するような例である。もちろん、引継報告書等の工夫により対処できるはずではあるのだが、従来は直接的なコミュニケーションで行なっていたものを機械的にデジタル化すると、意外なほど情報が抜け落ちてしまうのが現実である。更にはここに、時短の圧力が生み出した「定時以降は我関せず」といった無責任さが被害を増幅させる。朝から晩まで業務全体をバックアップしていたような人物の不在時間が増えれば(それも長時間労働対策上は不可避なのであるが)、顧客クレーム等の突発事案や危機への対応力も当然に低下することから、他のスタッフを従来以上に教育しなければ対応しきれないことにも理解が必要である。

 このように、理論的には時短が可能であるとしても、それに伴う組織の脆弱化に十分配慮しなければ大きな損害を招きかねない。当社が行なう従業員へのヒアリングやアンケートでは、このような組織状態のリスクは「不安」「心配」といった生の言葉によって、実態が示唆されていることが多い。

 また、第1・第2のケースに共通して留意すべき点が、管理職等に対する「しわ寄せ」である。無理な時短であっても成果責任を背負い、あるいは組織の脆弱性をカバーしようとするのは自ずと管理職等の責任ある立場の者になる。結果的に、彼らが従来に増して長時間労働を行ない、心身の負担を背負い込むことになりがちである。これでは、心身の健康問題はおろか、過労自殺さえ招きかねない危機的状況さえ想像される。

 労基法上の管理監督者は、確かに時間外・休日手当の支給対象ではないが、それがために企業によっては労働時間管理の対象から外れている例が散見される。以前の寄稿に記載したが、今回の労働時間法制改革は長時間労働対策の一環として管理監督者の労働時間管理・長時間労働抑制を強調しており、「名ばかり管理職」問題と合わせて注目されてこよう。何より、責任感があり能力の高い従業員ほど「しわ寄せ」の対象になりやすく、退職や傷病休職によって企業が失うものも大きい。コンプライアンスの推進において、十分に配慮すべきポイントである。

 それでは最後に、労務コンプライアンスの適切な推進には何が必要であろうかを考えてみよう。従業員を増やす、営業時間を短縮する、あるいは何らかの技術革新を取り入れる、といった事業計画的な側面にはここでは触れない。個々の企業の特性に応じた具体的な対策が必要となろう。

 ここでは、その具体的な労務コンプライアンス対策を決定し推進していく上での一般的な留意点の一部を簡単に紹介しよう。いずれも前記した失敗例から導き出される教訓と言える。

 第1には、「実態の正確な把握」を大前提にすることである。

 一般的に「実態の正確な把握」を阻害するものは、「消極的な情報収集」と、「主観的・楽観的な先入観」にある。

 労務コンプライアンスの違反や不完全さというものは、感情面から言うならば、経営者や人事労務管理の責任者にとってなるべく直視したくない不都合な事実ではなかろうか。このため、実際には想定できていたり、知ろうと思えばいつでも確認できたりする問題からなるべく目を背けてしまいがちになる。具体的には、内部通報制度は形式上設けてみても、それを活性化させることには躊躇してしまう。内部監査では問題のなさそうな部署や事柄のみを対象にする、といった具合である。その結果、コンプライアンス違反の継続的放置という「ブラック化」や、重大損害につながりかねないリスクの見過ごしを招くことになってしまう。

 そこで、「実態の正確な把握」に向け、積極的な情報収集と、客観的でリスク管理の観点も兼ね備えた分析を行なうことをお勧めしたい。例えば、内部通報であれば社内・社外など複数のルートによる制度を構築し、社内広報を強化してリスク情報の発信を従業員に奨励していく姿勢を示すことも有効である。多くの企業が内部通報制度を導入してから長い期間が経過し、制度の形骸化が進んでいるとの声をよく聞く。リスクの早期発見と自浄作用という内部通報制度の意義を再度組織に訴求していく必要があろう。

 また、監査においても労務コンプライアンスにしっかりと光を当てることが避けられない。客観性を持った外部監査機関を活用する、ヒアリングやアンケートによる能動的な情報収集手法を駆使する。また、特にヒアリングにおいては、退職する従業員を対象にしてみると在職中の不満や問題認識等の有益な情報が吸収しやすい。そして、このように会社が積極的に実態を把握しようとする姿勢が伝わることによって、従業員も信頼してリスク情報を提供してくれるようになる。そうした意味で、経営トップによる労務コンプライアンスの取組みに向けたコミットメントなどは効果的である。

 第2としては、「労務コンプライアンス体制の各機能が有機的に連携」することである。

 そもそも、企業のコンプライアンスは専門部署や法務部門などが所管しており、人事部門はあまり関与していないという例をよく見る。これが労務コンプライアンスの遅滞や不徹底につながっているように感じてならない。更には、前記したような内部通報制度や監査も各々別部署で所管しており、情報の共有や対策実施に際しての連携が不十分になりがちである。

 実際の対策では、上記の失敗例にもある通り、業務能力やリスク対応能力の底上げを目的とした教育研修なども実態に即して充実化しなければならない。それぞれの部署の管理者との連携も当然に必要であるし、部署の特性把握においては今年12月より一定規模の事業場で義務づけられるストレスチェックとその結果に基づく組織分析なども有効に活用すべきであろう。

 一つひとつの機能の充実はもちろん必要ながら、全体の連携こそが労務コンプライアンス体制の実効性に通じることを肝に銘じておきたい。

 以上述べてきた通り、労務コンプライアンスは(法改正や監督行政の厳格化はあっても)基本的には従来から徹底を目指して来たものであり、それゆえ企業は従来の意識をベースに、従来からある社内の機能を利用して是正や強化を行なうことになるものと思われる。

 しかし、前段で述べたように、労務コンプライアンスは今まさに企業の競争力に直結する「企業価値」の一つとしてその組織における存在意義を転換している。企業にはこのパラダイムチェンジを捉え、既往の価値観を急速に変えていくことが求められている。そのためには、労務コンプライアンス体制を司る各機能においても、旧態依然ではない「本気の取組み」が必要であり、その方法論としては、積極性・客観性とともにリスク管理を兼ね備えた観点から組織の実態を直視し、組織内の各機能を有機的に連携させたコンプライアンス体制の再構築と運用により改善を図ることである。

 労務コンプライアンスを「コスト増加要因」から「競争力強化要因」として捉えるべき時代に至ったと先述したが、人事戦略が事業の基盤を形成するものであることからすれば企業の持続性(サスティナビリティ)にも直結するものであり、それゆえにこそ、リスク管理という観点からの実態把握や対策の重要性は更に高まっていくであろう。

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