SPNの眼

コンプライアンスやリスク管理に関するその時々のホットなテーマを、現場を知る
危機管理専門会社ならではの時流を先取りする鋭い視点から切り込み、提言するコラムです。

杭打ち偽装問題の深淵(2015.11)

杭打ち偽装問題の深淵

問題の背景

 神奈川県横浜市の大型マンションが傾いたことに端を発した杭打ち偽装問題は全国的な拡がりを見せてきた。これまでの報道によると、多層な下請け構造を有する業界の問題点は指摘されるものの、その中でも杭打ち作業の管理や指示を担当する二次下請けの旭化成建材とその親会社である旭化成に対する風向きが強くなっている。と同時に、データを偽装した契約社員の個人的な資質や責任に帰そうとする意図が垣間見られる。
 本当にそれで良いのだろうか、それで済む問題なのだろうか。もちろん、そんなことはなく、業界全体の問題として、悪しき慣行にメスを入れていかなければならないであろう。

 まず、問題となったマンションの工事発注経路を辿ってみよう。マンションの販売をしたのは、業界大手の三井不動産レジデンシャルである(親会社は三井不動産)。その下に、施工の元請け会社(工事の受注者)として、三井住友建設があり、さらに、一次下請けに日立ハイテクノロジーズ(旧社名日製産業)、そして、二次下請けとして旭化成建材が来る。
 実際の杭打ち工事業者は、三次下請けとなる。問題の契約社員は、この三次下請け会社から旭化成建材への出向者であったという。

 建設業界において似たようなデータの偽装や改竄が繰り返されるのを防ぐには、この多重下請け構造という仕組みを根本から変えるしかないのではなかろうか。
 もともと、複雑な構造を有している建設業界であったが、バブルまでは力のあったゼネコンが主導力を発揮できていたようである。それが、バブル後の建設不況により、人員削減やコストカットが進み、下請け構造はより広範に、また複雑化した。同時に、発注者や元請けの担当者が現場を回ることが減り、現場の事が分からなくなっていった。製造業における職人の激減と同じ構図である。

 謂わば、現場の素人化が進んだと見ることもできる。但し、一方では、IT化も急速に進んだわけだ。つまり、この二つが同時並行的に進んだのである。IT化は、建築基準法などの業法の強化に伴って、増加した事務処理量をカバーしただけになってしまったようにも見える。
 担当者が現場を回れなくなったのは、何もそれだけが理由ではない。当然、コストや納期は厳しく要求される。そのような業界構造においては、現場の下請けにしわ寄せが来てしまう、つまり現場に任せ切りになったことにもよる。

 もともと、責任の所在が不明確な業界にあって、コストや納期の厳守だけが金科玉条の如き扱いになる。したがって、それに反する瑕疵や過失の発生とその発見は、コストアップや納期遅れに繋がることとなり、関係者全員の”阿吽の呼吸”のなかで、不正に手を染める動機を形成させてしまう。そして、施工不良の隠蔽に結び付く。ただ、業界の問題はそれだけではない。消費者側の発想の転換も求められるのだが、マンションは完成前に売りに出される。この「青田売り」が工期を完全に縛ってしまうのである。

 この工期の問題をクリアできない以上は、工事監理体制を強化するしかない。具体的には、その陣容を分厚くするしかないであろう。これは自治体も含めた行政側の責任である。
 また、信頼できる第三者機関の出番かもしれない。こと安全に関わる問題だけでなく、購入者にとっては、一生に最大の買い物になるのだから、責任の明確化は喫緊の課題である。ここ数年、食品に関しては、あれだけ安心・安全が声高に叫ばれたのに、住まいの問題が業界の慣習の闇に紛れて、なかなか表面化しない、表面化しても改善されなかったのはどう考えてもおかしい。

 ここのところの各種報道を見ると、所謂、業界関係者の告発的な内容も目立ってきている。例えば、「杭が固い地盤まで届かないのは、珍しいことではありません。私が聞いたのは、都内の多摩川に近い場所に建っているマンションの話。川は時代によって流れる場所が変わりますから、5メートルぐらい掘ったら、人の頭ぐらいの大きさの石がゴロゴロと出てくるような地層だったそうです。そのため杭打ちが難航して、工期に間に合わなくなりそうだった。それで結局、半分ぐらいの杭が地盤まで届かないまま作業を終わらせてしまったそうです」(関東の建設業界関係者)(「週刊文春」11月5日号)。

今後の展開

 このような”業界の常識”をどのように捉えたら良いのだろうか。
 これまで建設業界に限らず、企業不祥事が発生するたびに、「社内の常識が、社会の非常識であった」などと反省の弁が述べられてきたが、一企業の常識ではなく、”業界の常識”という塊になると、事は容易ではない。ましてや、それが多重下請け構造という複数の関連業界の固い結び付きやしがらみによって、がんじがらめにされている状況であるため、一石を投じるのも至難の業であろう。しかし、業界の悪習は断たなければならない時期に来ている。

 特に、三井不動産や旭化成といえば、日本を代表する大企業である。両社ともにHPには、コンプライアンスやコーポレートガバナンス、さらにCSRの取り組みなどを高らかに謳っている。これらの現実は、最早一企業単体だけが、つまり、自社だけがピカピカに輝いていても何の意味もない。その裏で犠牲を強いられている数多くの取引先企業が存在しているのであれば、その企業の言うことは信頼されないのである。自分だけが格好付けるやり方は、もう通用しないのではないだろうか。特に、各業界のリーディングカンパニーであると自他ともに認めるような大企業であれば、業界の問題点に対し、率先して、解決に尽力することが求められよう。それこそ、社会貢献というものである。

 今回の問題では、三井不動産、三井不動産レジデンシャル、旭化成、旭化成建材がそれぞれの初期対応や記者会見、住民説明会などの対応の拙さで批判に晒されている。これらは事件の全貌解明とともに責任の明確化の要請によって長期化すると思われるが、各社においては、是非とも、この機会に膿を出しきってほしい。
 建設・不動産業界においては、ただでさえ、空き家問題が焦眉の急となっている。2020年には、空き家問題が暴発リスクとなるとの予測も出されている。2020年といえば、東京オリンピックの開催年である。それまで、建設ラッシュが続くが、五輪後は東京がゴーストタウン化する可能性が指摘されているのである。今回の問題がそのトリガーともなりかねないのである。

 ところで、一つ視点を変えてみたい。建設業界の構造的問題は理解できた。しかし、これはこの業界だけに限ったことだったのだろうか。コストカットやリストラ、納期短縮、IT化などは、この20年来日本の全産業界を席巻したキーワードではなかったか。それらは、何のために推奨されたのか。その掛け声は、国際競争力、生き残り、選択と集中、株価の維持、企業価値の向上等々であった。危機管理の側面からも、それらは持て囃されたのも事実である。
 しかし、結果はどうだったのだろうか。雇用は非正規社員が大半を占め、格差は拡大した。貧困も社会問題化している。そして、企業不祥事は毎年繰り返される。一体、日本はどうなってしまったのだろうか。

 このことを私たちの専門分野から、もう一度、捉え直したい。危機管理は人を幸福にするものである。また、他人の犠牲の上に成り立つものではない。ある時代的状況のなかで、「リスク」と判断されたものも、実は時が経ってから、別の様相を見せることがある。
 コストカットやリストラ、納期短縮等が短期的なリスク回避のためのものなのか、それとも、別のより大きな長期的リスクを招来する原因になってしまうのか。何がリスクの判断軸や判断基準になるのか、それら自体が、若干ブレるのも致し方ない面もあるが、少なくとも、自分(自社)だけが良ければ、それで良いとする考え方は間違っている。

 だからといって、旧日本的な談合気質で公正な競争を阻害しろ、などというバカげたことを言っているのではない。日本的なリスクマネジメントの在り様が必ずあると思うのである。全員がそのような想いに至れば、社会に垂れ込める暗雲(閉塞感や圧迫感)を払拭することができるのではないか。仮需に浮足立って、価格を叩いてまで、供給過剰にすることに、何の意味があるのか、猛省する時期である。少なくとも、それは求められるべき”国のかたち”ではないことに皆がそろそろ気がついても良い。

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