SPNの眼

2035年の企業危機管理を展望する(上)

2017.07.05
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1.「働き方改革」とは~再定義の必要性

 いわゆる「働き方改革」が社会的に定着しつつあるようだ。

 だが、世間で語られている「働き方改革」は、「過去」の反省のうえに、「今」と「少しだけ先の未来」をどう変えるかに主眼があるように思われる。政府の推し進める政策も、「心身の健康」や「ワークライフバランス」、「自己実現」といった誰もが納得する高い到達点を掲げつつも、「労働時間の管理」による「残業時間の抑制」や「ハラスメント」規制の強化、「休み方改革」とも言われる有給休暇、育児休暇などの取得促進など、これまで以上の厳格な対応を企業に要請・強制する方向ばかりが喧伝され、その取り組みの割に、「人生を豊かにする」といった本質的な「働き方改革」が実現できている(成果を実感できる)とは言い難い状況にある。一部の大手企業や熱心な企業を除けば、多くの企業は、正直、法的な規制の強化・対応の厳格化への対応に汲々としており、「よいことは分かってはいるが・・・」と、真正面から取り組むことを避けているかのような状況だろう。

 さらに、より現実に即して言えば、「働き方改革」の目指す「働きがい」や「ワークライフバランス」、「自己実現」の追求(理想・理念の追及)という側面と、「労働時間の厳格な管理」や「残業の徹底した抑制」といった側面(収益の追求)を両立させることはそう簡単なことではない。結局、今世間で言われている「働き方改革」は、「同じ成果をより短時間で出すことを求めるもの」であり、「今の業務の効率化」を徹底することでしかその目的を達成することは難しく、そのハードルの高さと当局の対応や規制の厳格化の間で、多くの企業にとっては正に「悩ましい」問題となっている。

 「働き方改革」を推進するということは、極論すれば、これまでの働き方の延長線上で取り組んでも限界があるとの前提に立ち、「社員と業務の関係」に大胆に手を入れることや、「自社のビジネスモデルそのものを見直す」ことに他ならない。そして、その実現には、現時点の社会の要請に応える「働き方改革」に取り組みつつ、本質的な「働き方」の改革の実現に向けて、「中長期的な視点」が求められている。今後、社会は、「少子高齢化」と「技術革新」をキーワードに、そのあり様を大きく変化・変質させることになるが、「働き方改革」についても、その文脈から捉える必要があるのではないだろうか。言い換えれば、「働き方改革」を、「今」を起点に捉えるだけでは不十分であり、「未来」の社会のあり様をふまえ、「今」から、働き方や企業と社員の関係のあり方を見直していくとの発想が不可欠だと考える(それが、今の「働き方改革」の持つ閉塞感や限界を乗り越えるために必要な中長期的な視点ともなるはずだ)。そして、その行き着く「未来」の社会では、企業と「社員(個)」との関係が大きく変化・変質し、その結果、コンプライアンスやリスク管理を含む「企業危機管理」のあり方にも大きな変化が生じることになる。

 本コラムでは、2回にわたり、「働き方改革」の本質をあらためて考えながら、既に始まっている「イノベーション」のもたらす中長期的なインパクトを、企業危機管理の視点から捉え、将来の企業危機管理のあり方、翻って、企業が今から取り組むべきことは何かを筆者なりに考えてみたいと思う。

2.2035年の社会

 昨年8月、厚生労働省が、興味深いレポートを公表した。

厚生労働省 働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために懇談会報告書

 厚労省の言葉を借りれば、本報告書では、「今後AI等の飛躍的技術革新によって、時間、空間制約が激減し、既成概念から解放され、多様な働き方のチャンスが大幅に拡大すること、そしてそのチャンスを生かすためには、技術革新や産業構造の変化に合わせて、あるいはそれを先取りする形で、働く人が適切に選択できるための情報開示や、再挑戦可能な日本型のセーフティーネットの構築など新しい労働政策を構築していく必要性があることなど、将来を見通した多くの示唆に富む提言が指摘されて」いる。
そこで、本コラムでは、「中長期的な視点」を、本報告書で描かれている「2035年の社会」を起点として考えてみたいと思う。そこで、まずは、本報告書の内容を引用・要約する形で、「2035年の社会」のイメージを共有させていただきたい。

  • 2035 年、世界の人口は現在の73 億人から85 億人まで増加するのに反して、日本は1.27 億人から1.12 億人に減少すると予測されている。他方で長寿化が進むため、少子高齢化がさらに進み、現在の26.7%の高齢化率が33.4%まで拡大する。労働人口の拡大のためには、様々な人が真に働きやすい社会・環境を作ることが必要となる。
  • 技術革新は経営革新や業務の効率化、ライフスタイルの進化に、継続的に貢献してきた。技術革新の進展を踏まえることは、未来社会を展望する上で大前提となる。今後の技術革新では、以下のようなものが代表的である。

    1. 処理速度、通信技術、センサーの格段の向上
    2. VR(Virtual Reality仮想現実)、AR(Augmented Reality拡張現実)、MR(Mixed Reality複合現実)の進化
    3. 移動技術の飛躍的な向上
    4. 自動翻訳技術の向上
    5. AI(Artificial Intelligence人工知能)
  • AIが代替可能性の高い仕事としては、専門的な知識を必要とするものの定型的な業務である仕事であり、認識や動作の習熟を必要とするものの大域的な判断を必要としないような仕事に関しては、労働の形態が大きく変わる可能性がある
    【注】 なお、本報告書では、AI等でも代替できない、人間が主役となり続ける仕事として、「大域的な判断を必要とする仕事や例外的な事象に対応する仕事」、「人間の人間性に基づくような仕事」、「ヒューマンタッチの仕事」、「起業家」などがあげられている。
  • 2035年には、各個人が、自分の意思で働く場所と時間を選べる時代、自分のライフスタイルが自分で選べる時代に変化している事こそが重要
  • 2035年には、企業の内外を自在に移動する働き方が大きく増えているに違いない。それまでに、そうした移動を容易にする仕組みが整えられることが重要になり、それぞれの人の能力や評価に関する情報は、より幅広く情報が共有されている社会になっていく必要がある
  • 一人の働く人が複数の営利的組織、複数の非営利的組織のプロジェクトに所属し、その所属先も時の経過とともに変化するのが当たり前の時代になっていく
  • これまでのように企業規模が大きいことのみでは働く人のニーズを満たすことはできず、働く人にどれだけのチャンスや自己実現の場を与えるかが評価されるようになる
  • 空間や時間の制約を受けない多様な働き方が一般的になると、性別や人種の壁、国境といった制約が急速に消滅する。それぞれの人が自分の能力や志向にあった働き方を選択し、それが社会として調和する時代がやってくる
  • 性別の違いにとどまらず、人種や国籍、年齢やLGBTや障害の有無などが、働いたり、住んだりする「壁」に一切ならないような社会、制度を築いていくべきだろう。そのためにもAIやITといった最先端技術がフルに活用されることが必要である
  • 同じ企業で働いているという帰属意識よりも、同じ職種や専門領域で働いているという共通意識の方がより強くなる

 いかがだろうか。これが、中長期的な「未来」の社会のあり方のイメージだとすると、一方で、現時点の「働き方改革」の発想(「今」から「少し先の未来」に向けた取り組み)は、平成28年9月27日に開催された「第1回働き方改革実現会議」で、首相が示した以下の「当面のテーマ」が、代表的なものとなると思われる。なお、首相は、同会議において、「ロボットからビッグデータ、AIまで、デジタル技術の活用が進む中で、働き方も間違いなく変わる」とも指摘している。現時点取り組むべきこれらのテーマが、「未来」の視点をふまえた(未来との接続性が意識された)内容であることも示唆されている点は興味深い。

首相官邸 第1回「働き方改革実現会議」

  1. 同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善
  2. 賃金引き上げと労働生産性の向上
  3. 時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働の是正
  4. 雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育の問題
  5. テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方
  6. 働き方に中立的な社会保障制度・税制など女性・若者が活躍しやすい環境整備
  7. 高齢者の就業促進
  8. 病気の治療、そして子育て・介護と仕事の両立
  9. 外国人材の受入れの問題

 端的に言えば、現時点の「働き方改革」では、「長時間労働の是正」や非正規雇用の待遇改善、女性・高齢者・障がい者・外国人等の活用、病気や介護と仕事の両立を含む「労働力の確保」という極めて現実的な目標が設定されていることがあらためて確認できるが、実は、これらを実現した先に、「雇用の完全な流動化」や「人財の流動化」という「未来」の社会のあり方に重なる部分が見えてくる。その意味では、「未来」を見据え、現行の「働き方改革」(上記のテーマ等)にまずはきちんと取り組むべきであることは間違いないだろう。

 ただ一方で、本報告書の描く「未来」が、これらの「現実的な目標」と大きく断絶していると思われる点もある。例えば、「自分の意思で働く場所と時間を選べる時代、自分のライフスタイルが自分で選べる時代に変化」、「企業の内外を自在に移動する働き方」、「複数の組織への所属」、「企業規模ではなく、働く人にどれだけのチャンスや自己実現の場を与えるか」、「空間や時間の制約を受けない多様な働き方」、「企業への帰属意識の希薄化」といったフレーズで語られている部分がそうであるが、社会システムや制度全体のコペルニクス的転換・地殻変動とでも言うべき、その断絶の意味するものの大きさに着目する必要がありそうだ。

 さて、この「今」と「2035年の社会」の間に大きな断絶をもたらすもののひとつが、AIやロボット、ビッグデータ活用などによる「時間的制約」からの解放、さらには翻訳技術や移動技術の向上による「空間的制約」からの解放をもたらす、「技術革新」であることは間違いない。ただ、それだけではこの大きな断絶を語るには不十分である。

 先日公表された国土交通省の 「平成28年度国土交通白書」は、「イノベーション」をキーワードに「2050年の社会」にどう対応するか、その新時代をどう切り拓いていくかを取り上げている。その中で、「イノベーションとは、単なる技術革新や新技術の開発ではなく、社会システムや制度全体も含めて、革新・刷新することにより、新しい価値を次々と生み出していくこと」と捉え、「イノベーションの進展により国民の意識は変化する」とも指摘している。正に、この「イノベーション」こそ、「今」と「2035年の社会」の断絶をもたらすものであり、断絶こそが少子高齢化の進展や技術革新を含む「イノベーション」の成果だと言えよう。そして、その変化の過程や人々の意識への波及効果を含め、新たな価値観が支配的となる「2035年の社会」(国土交通白書では2050年の社会)の到来、既に始まっているイノベーションの「インパクト」を正しく理解することなしに、企業は自らの「未来」のあり方を語ることはできない。

国土交通省 「平成28年度国土交通白書」の閣議配布~イノベーションが切り拓く新時代と国土交通行政~

 そして、イノベーションは、「企業」と「個人」との関係を大きく変質させることにもなるが、この点こそ、今、企業が認識しておくべき重要なテーマでもある。

 これまで、「企業」は、自らのビジネス(収益)を最大化するために、最適な「社員」や「委託先等」を「選ぶ」あるいは「育成する」「自社の意向に従わせる、協力してもらう」ことが当たり前であったのに対し、イノベーションによってもたらされる「未来」においては、企業は、自立・自律した「個」(もはや「社員」の意味は変わってしまう)から「選ばれる」ことなくして生き残れないというパラダイムシフトが起こると考えられる。AIやロボット等の技術革新は、「人」にしかできない業務だけを残すことになるが、その業務は高度化・専門化することから、イノベーションによって「人財」(企業にとって有為なパートナー)の重要性が今まで以上に増すことになる。したがって、その「人財」をいかに確保していくか、「人財」と企業がWin-Winの関係を築いていけるかが、今後の企業の存続やビジネスを左右することになる。

 その結果、「企業」と「人財」の関係は限りなく「フラット化」し、あくまで「人財」側が主導権をもって、自己実現のために企業や組織を「選ぶ」(しかも、「チェリーピッキング」する、複数の組織に所属する)ことが当たり前となり、究極的には、企業は、「選ばれる」ために、イノベーションを活かして自らのビジネスモデルを「取捨選択」しながら「先鋭化」させ、「差別化」できていることが存続の要件となっていくだろう。AIやロボット等の技術革新が、多くのサービスを「標準化」してしまう中、イノベーションによってより自立・自律した存在となった「人財」からみて、パートナー足りうる企業の選考基準は、規模やネームバリューではなく、正に「自らにチャンスや自己実現の場をもたらしてくれか」となり、「企業理念」や「社会的意義」の大きさ、「専門性」の高さや「柔軟性」などになることを、今、企業は認識しておく必要がある。

 さて、このような「2035年の社会」から見て、あるいは、その時自らが生き残っているために、今から企業が行うべきことは何か。それは、まずは現行の「働き方改革」に積極的に取り組むこと、そして、イノベーションのインパクトを正しく評価し、積極的に業務に取り入れていくことではないだろうか。その結果、短期的には業務の大幅な効率化の実現、社員の満足度や帰属意識を高める効果が期待できるし、一方で、そのような「人財」が、中長期的にはむしろフラットなパートナーというシビアな関係へと変質していくことをふまえ、自らのビジネスモデルの見直し(ビジネスモデルの先鋭化)、「人財」の育成やパートナーショップの強化、さらにはチェーン・マネジメントの強化、消費者や取引先等ステークホルダーとの関係のあり方や自社と社会の関係(自らの存在意義)の再定義を行いながら、既に始まっているイノベーションに順応し勝ち残っていくための「柔軟性」や「耐性」を高めていくことが求められると言えよう。

 したがって、「働き方改革」をより中長期的な視点で捉え、イノベーションに順応し、2035年の社会においても、選ばれる企業として勝ち残るための「試金石」と捉えることが重要であり、それが、「働き方改革」の必要性、「働き方改革」を再定義すべき理由でもある。

 さて、「2035年の社会」、イノベーションのもたらす「企業」と「個」の関係の劇的な変化のイメージを共有できたところで、次回は、「2035年の企業危機管理」のあり方について、私見を述べていきたいと思う。

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