リスク・フォーカスレポート

広報と危機管理編 第二回(2013.3)

2013.03.21
印刷

「広報とメディア」

ソーシャルコミュニケーションの構造

 連載第1回では、企業が拠って立つべき社会性とそれに基づく広報スタンスの概要を明らかにした。また、トータルな企業コミュニケーション(コーポレートコミュニケーション)を、以下の4つの領域に区分した。即ち、①マーケティングコミュニケーション、②インベスターコミュニケーション、③マネジリアルコミュニケーション、④ソーシャルコミュニケーションである。

 そして、①、②、③に対しては、広報コミュニケーション(広報・PR活動でもよい)は、サポート的役割を果たしつつ、④については中核的担い手としての役割と機能を発揮すべきであることを述べた。

 この構図をもう少し補足すると、もとろん①、②、③のコミュニケーションにとっても、ソーシャルな、あるいはパブリックな側面や要素は内包しているわけであり、パブリックやマーケットを対象としている。それ故に当然のことながら、多かれ、少なかれソーシャルにならざるを得ない。

 ところで、上場することを英語でgopublicというが、上場しようが、非上場であろうが、企業が”社会の公器”たる以上は、パブリックなるもの、パブリックたることから、好むと好まざるとを問わず、逃れられない使命を背負っている。それは経営者にとっては、宿命とさえいえる程に覚悟しなければならないのである。

 つまり、経営者が”公器”たることを意識・認識していようが、いまいが、社会からは”公器”たることが当然視され、また”公器”に相応しいパフォーマンスが強く期待されているのである。企業の経営層・幹部クラスは、この社会的心理を決して忘却してはならない。

 その認識は起業時であっても、起業後でも、継続されるべき企業人の矜持である。そして、その覚悟や理念の発露・情報発信形態(含.ツール、回路、コンテンツ)がソーシャルコミュニケーションに他ならないのである。

 この文脈から、ソーシャルコミュニケーションは、自然とsocialresponsibleな状態やレベルの実現を志向する。あえて、CSRと言わなくても、そうならざるを得ないのである。

 また、円滑な危機管理プロセス自体もsocialresponsibleであることから、危機管理コミュニケーションが、ソーシャルコミュニケーションの重要な「一部」を構成していることが十分了解されるところだ。

 以上を踏まえた上で、CSRコミュニケーションと表現した場合、具体的なCSR活動や、CSRに対する各企業の考え方についてのコミュニケーションのことを指す以上に、そのコミュニケーション自体、その有り方・在り様がCSR的にならざるを得ない、という意味に解釈すべきなのである。

 危機管理コミュニケーションの内在化と発動

 次に、この④のソーシャルコミュニケーションが、他の3つ(①マーケティングコミュニケーション、②インベスターコミュニケーション、③マネジリアルコミュニケーション)に対して、どのような影響を及ぼしているかを見ていこう。この相関相においては、危機管理コミュニケーション(主にリスクコミュニケーション)がソーシャルコミュニケーションの一部ではなく、「大部分」を占めることになる。

 ソーシャルコミュニケーションは、他の3つコミュニケーション(①、②、③)に対しては、それらが社会性を欠落させないように、反社会的にならないように、常に”ソーシャルな眼”を光らせる重要なチェック機能と役割を有している。

 つまり、常識やモラルに関して越えてはいけない一線を越えないように、また社会常識の欠如や社会的感覚の麻痺(業界の常識の先鋭化・膨張)を防ぐための有効なツールとして、また戻るべき原点の方向性を指し示す灯台の役割を担わされているのである。

 その意味で、ソーシャルコミュニケーションは経営理念と表裏一体でなければならないので、この両者は相互牽制を回避することはできない(むしろ相互牽制をしなければならない)。それによって、ソーシャルコミュニケーション自身が、よもや”ソーシャルな眼”を喪失することがないよう牽制し合い、それを防ぐのである。同時に経営理念の陳腐化も防止する。その防ぐ手立てが、第1回でも触れた”外部の眼”を社内へ取り入れることである。この”外部の眼”と”ソーシャルな眼”が見事に重なるわけで、危機管理にとっても必要な”眼”であることは言うまでもない。

 この眼があれば、外部の空気を内部に送り込み、社内の澱んだ空気を撹拌することもできるのである。この”外気”の注入プロセスが経営活動に組み込まれていなければ、よく言われるところの乖離したがる社内外の常識ラインは一致しないのである。ソーシャルコミュニケーションが、このプロセスをサポートするのは言うまでもない。

 ①のマーケティングコミュニケーションのレベルにおいては、顧客や消費者の声(ニーズや要望、満足度やクレームにさえ)に耳を傾け、商品開発等に取り入れているのだから、ソーシャルコミュニケーションのレベルで、社外(社会)に対して開かれていないということは、自らその存立基盤を否定することになりかねない。

 つまり、先に述べた”灯台”の役割を果たせなければ、あるいは果たさなければ、危機管理コミュニケーション(リスクコミュニケーションからクライシスコミュニケーションに至るまで)は成立しない。同時にソーシャルコミュニケーションが途絶してしまうのは明らかである。

メディアへの対峙と距離感

 さて、④のソーシャルコミュニケーションを目的的に、あるいは結果的に、メイン活動領域としながらも、①から③の各コミュニケーションもサブ機能として具備している広報コミュニケーションが直接的に相手にし、リレーションを取る対象は、メディアである。

 広報教科書論的に言えば、新聞、通信社、テレビ、雑誌を中心とした既存メディアへの対応が中心になる。

 企業における広報組織がどうなっているのか、第1回の冒頭に「企業にとって広報活動とは何であるか。この答えは組織により、・・・千差万別ではないかと思われる。何故なら、業種・業態・企業規模・トップの広報観の違いなどによって、・・・云々」と書いた。

 要するに、実際には専任組織としての広報部(広報課でもよい)が設置されている企業もあれば、総務部等が広報機能を兼務している企業もあるということである。

 そのなかで、特に広報部署を持たずに、平時においては広告宣伝活動を中心に展開することによって、効果的なPRができている(と考えている)企業は、あえてパブリシティ活動はしていないし、当然ニュースリリースの作成・送付もしていないだろう。したがって、前掲の新聞等各既存メディアへの対応経験、付き合いも極端に少ないことが想像される。

 しかしながら、そのような企業においても、事と場合によっては、それまで経験したことがない緊急記者会見を開かざるを得ず、そのため結果的に失敗し、大きな痛手を被った幾つもの事例を思い起こすことは難しいことではない。

 このことは各企業が、仮に「危機管理マニュアル」を持っていたとしても、そこに「危機管理広報マニュアル」が含まれていなければ、意味をなさないことを物語っている。

 また、私たちは広告宣伝活動で、積み重ねてきたブランドが一つのスクープ報道や、慣れない緊急記者会見によって、一気に根底から崩されることが現実に起こることを知っている。

 よく広告と広報のシナジー効果の追及ということが目標とされるが、これは主に平時を前提としてイメージされていることである。しかし、実際は平時と緊急時、さらに広告と広報をクロスさせて、4つのウィンドウで戦略や対策を計画・実施すべきなのである。

 そうすれば、広報としては、平時のソーシャルコミュニケーション(主にリスクコミュニケーション)で何をすべきか、そして緊急時のソーシャルコミュニケーション(主にクライシスコミュニケーション)では何をするのか、何を準備しておくべきかが、自ずから明らかになる。

 その上で、プラスのシナジー効果は継続的に追求していくべきだが、マイナスのシナジーを招来してしまわないように、各種コミュニケーション(①~④)やツール(各種メディア)のベストミックスを計画・構築しなければならないのである。

 もちろん、危機管理局面ではブランドイメージや信頼の低下・劣化を最小限度に抑えなければならない。そのためのリスク耐性とダメージ耐性を組織として身に付けておく必要がある。それは硬性ではない弾力的なレジリエンス力を意味するから、クローズドに閉ざされた組織空間では、醸成しないものなのである。

 そのためには、普段からの地道で、かつオープンな広報活動を真に役に立たせない手はない。真摯でオープンな姿勢(広聴・傾聴にも通じる)は、自社にとって耳の痛い指摘や情報を排除することを拒否するため、独善の陥穽から免れる可能性を高めてくれる。

 ”社会の眼”という言葉を再三引き合いに出しているが、その中には”記者の眼”や”記者の考え方”というものも含まれる。しかし、当然のことながら、これは普段からの広報活動を展開していかなければ、それらの意見や見方にアクセスすることも、検証することもできるわけがないのである。

メディアと広報の切磋琢磨

 一方、近年メディアの劣化という指摘も少なからずなされているし、いわゆる”提灯記事”を特徴とする媒体も存在する。また、反対に企業に対して、厳しい批判や糾弾を得意とする媒体もある。もちろん、新聞社には経済部も社会部もあり、またネットメディアの台頭もあり、トータルなメディア環境は広範で複雑な様相を呈している。

 そのようなメディア全般の状況を睨みながら、広報のリスクマネジメント機能(早期発見や早期警報)を十分認識しつつ、広報コミュニケーション活動を展開し、またメディアリレーションズを図っていく必要がある。そのためには、やはりトップの深い理解と広報の専任組織が不可欠となる。加えて、今やSNS等のネットメディアに押され気味の観もあるが、各種既存メディアの機能・役割・特徴・影響力・世論形成力、さらに言えば、報道のメカニズムやルール、あるいは制約・限界に至るまで熟知しておく必要がある。

 特に、最近のネット炎上事例などに多く見受けられるのが、お詫びのコメントや謝罪会見に関してさえ、ツイッターやフェイスブックで済ます事例である。もちろん、起こした事案の衝撃度や社会的影響度、そしてクライシスとしての重大性に応じて、対応手法・手順の丁寧さやオーディエンスのカバレッジ範囲はある程度変動するので、それで事が済むケースもある。

 しかし、本来はメディア側と面と向かって対峙して、質疑応答を繰り返すことによって、初めて説明責任を果たしたことになる。したがって、そのような局面を避けた、あるいはそこから逃げたという印象を残すことは、広報的にも、危機管理的にも、選択肢としては逆効果になりかねないのである。

 双方向の記者会見を開いた後で、HP上にFAQを掲載するのと、求められているにも関わらず、会見を開かずにFAQだけをサイトに載せるのとでは、企業姿勢に大きな違いがあると評価されても仕方ないのである。そして、この評価はマスコミ関係者以外のステークホルダーにも拡がりつつある。何も、”メディアの劣化”に仲良く”広報レベルの劣化”が付き合う必要はないのである。

 今後とも、広報コミュニケーションにとっては、既存メディアが第一義的なカウンターパートナーであり続けることに変わりはない。特に、ネットメディアがジャーナリズムを代替できるかといえば、まだ大きな疑問符を付けざるを得ない状況である。広報とメディアはともにレベルを向上させるべく、切磋琢磨していく、そのような建設的な緊張関係が望まれるのである。因みに、新メディアと旧メディアにも同様な関係が望まれる。

 近年、企業自体のメディア化が謳われ、HPなどのオウンドメディア、SNSなどのアーンドメディア、広告などのペイドメディアを包括したトリプルメディア論が展開されている。これに対しては、あくまでも①のマーティングコミュニケーションの延長であることをきちんと押さえておかなければならない。

 アーンドメディアにおける”ソーシャル”はSNSの「S」であることから、これらは評判マーケティングの領域に入るため、本論でいう④のソーシャルコミュニケーションが具備しなければならない説明責任(アカウンタビリティ)や、応答責任(レスポンシビリティ)が十分とは言い切れず、両者は、意味合いや質を異にしていることを理解し、混同してはならない。

 企業自身がメディア化するならば、他のメディアとのコミュニケーションとの相互交換・相互乗り入れ・相互対話は欠かせなくなるので、コミュニケーション内容や発信・開示姿勢の整合性や一貫性がシビアに問われることになる。そして、その問いの発信源は何か--。それが社会性であり、社会的責任であることは最早自明であろう。

 また、多様なコミュニケーションのプロセスと結果に応じて、レピュテーションも変化していくのだが、その変化幅を極小化し、安定上昇できるか、できないかも、各企業のソーシャルコミュニケーションの充実度と高度化にかかっていることを、常に意識から外してはならないのである。

Back to Top