天災は、忘れぬうちにやってくる!これから始めるBCP

令和6年能登半島地震レポート~「備蓄」「安否確認」そして「訓練」

2024.02.26
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総合研究部 専門研究員 大越 聡

2024年(令和6年)1月1日16時10分、元旦の家族の幸せなだんらんを、石川県の能登半島にある鳳珠郡穴水町の北東42kmの海岸付近を震央とした令和6年能登半島地震が襲った。地震の規模はマグニチュード7.6、震源の深さは16km(いずれも暫定値)。石川県輪島市と同県羽咋郡志賀町で最大震度7を観測した。気象庁によると、この地震の発震機構は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、地殻内で発生した地震であるという。1月1日以降、震度7を1回、震度6弱が2回、震度5強8回、震度5弱7回、震度4は48回など多くの余震が観測されている。能登半島等の広い地域で津波による浸水が認められたほか、現地調査により、石川県能登町や珠洲市で4m以上の津波の浸水高や、新潟県上越市で5m以上の遡上高を観測した。

同県の2月22日時点での発表によると、地震による家屋の倒壊や土砂災害、火災、津波、液状化現象などにより、輪島市102人、珠洲市103人をはじめとして5市町村で241人が犠牲者となったほか、負傷者は重症312人、軽傷874人の合計1427人。住家被害は全壊324棟、半壊840棟、一部損壊4688棟の合計75650棟に上った。現在でも1万以上の人々が避難所生活を強いられている。まずは亡くなった方に心から哀悼の意を表するとともに、現地の速やかな復興・復旧を願ってやまない。

気象庁指針震度分布図
(出典:気象庁 指針震度分布図)

当社総合研究部では2月初旬、2日間にわたり被災地調査を行った。本稿では被災地の声や、能登半島地震がもたらした経済への影響などを報告したい。

写真で見る被災地

輪島市内の倒壊したビルの画像
輪島市内の倒壊したビル

まず、被災地で撮影した写真を見ていきたい。こちらは輪島市内で、文字通り「倒壊」してしまった7階建ての建物だ。ニュースなどで見た人も多いだろう。東日本大震災で津波に飲み込まれてしまった建物はともかく、地震の影響で横倒しになった建物を見たのは阪神・淡路大震災以来だろうか。報道などによると、この建物は1972年竣工だという。古い建物であることに間違いはないが、東京や大阪などの大都市ではこの当時の建物がまだ残っている可能性は高い。また、多くの木造住宅が倒壊していた。まずは建物の耐震化が急務であることは言うまでもないだろう。また、写真では信号機の位置が通常よりも異常に低いのが分かるだろうか。液状化により、多くの電信柱や信号機が地面に埋め込まれてしまっている。

輪島市朝市の被害の様子の画像
輪島市朝市の被害の様子
輪島市朝市の被害の様子の画像
輪島市朝市の被害の様子
輪島市朝市の被害の様子の画像
輪島市朝市の被害の様子

上の3枚の写真は、輪島市朝市の被害状況だ。総務省消防庁消防研究センターによると、「火災原因については、火元と思われる建物の調査において、火気器具等の使用がなかったこと、屋内電気配線に溶けた痕跡が認められること等から、屋内電気配線が地震の影響で傷つくなどして発生した電気に起因した火災の可能性が考えられる」としているが、他にも断水で消防用水が足りなかったことや、道が液状化して消防車がうまくたどり着かなかったことなど、様々な要因が指摘されている。1つ言えることは、このような状況になりかねない木造建築密集地域は、東京都内にもまだ多数存在しているということだ。

不燃領域率2021年のグラフ
(出典:東京都都市整備局ホームページから「不燃領域率 2021年」)

東京都は阪神淡路大震災後の1997年に「木造住宅密集地域整備プログラム」を実施し、木造住宅密集地域を指定。その後の土地利用現況調査により算出した不燃領域率が60%未満の地域を木密地域と呼ぶ。不燃領域率とは市街地の燃えにくさを表す指標で、建築物の不燃化や道路、公園などの空地の状況から算出する。70%を超えると市街地の延焼による焼失率はほぼゼロとなる。上記は東京都市整備局のホームページからの引用だが、目標値70%に対し、阿佐ヶ谷・高円寺周辺地域や十条・赤羽西地域など50%台の地域もいくつか存在する。企業も住民も、注意が必要だ。

輪島市朝市の被害の様子の画像
輪島市朝市の被害の様子

燃え残った車の状況から、当時の火災の勢いがうかがえるだろう。消防庁の調査では、市街地火災延焼シミュレーションに基づく検証により仮に消防活動が行われなかった場合、「倍以上に当たる面積が焼失する可能性があること」が分かったという。

町中のいたるところで、液状化によりマンホールが浮き上がっていた画像
町中のいたるところで、液状化によりマンホールが浮き上がっていた。
輪島市内の道路の様子の画像
輪島市内の道路の様子
輪島市内の倒壊した家屋の画像
輪島市内の倒壊した家屋

時間外の発災と「自助」の重要性

今回の地震で最も特徴的なのは、「1月1日の夕方」という、自治体や消防・自衛隊、企業、医療機関等、どの組織も、1年で最も人手不足になるであろう日・時間帯の発生だったことだろう。コロナが空けたこともあり久しぶりの帰省者も多く、被害が拡大した。大手メーカーのBCP担当者も「正月だったことで物資運搬のトラックなどを手配するのが遅れ、現地に水等の物資を送ることができたのは3日になってからだった」と振り返る。

さらに能登半島という地形は、災害支援に入りにくい形をしている。3方向が海に囲まれ、物資の支援に陸送に関しては海沿いを走る国道249号線に頼るしかなかったが、その頼みの綱の国道が寸断された。筆者たちが訪れた時点ではかろうじて金沢市内から輪島市までの道路が開通していたが、輪島市内の輪島-門前地区を結ぶ能登最長の「中屋トンネル」は天井が崩落し、現在でも復旧のめどは立っていない。地震発生当初は多くの避難所で断水が発生し、トイレが使えない状況が発生した。筆者らが訪れた時にも、穴水町や輪島市で多くの地域で断水が発生しており、トイレにいくには仮設トイレを探さなければいけない状況だった。

ここで分かるのは、災害時の自助の重要性だ。例えば2024年で見てみると、土日祝日を除いたいわゆる「平日」は248日で1年の約2/3。平日は1日8時間労働とすると会社にいるのは1/3。要するに会社で就業している時間は年間のおよそ2/9に過ぎず、8割近くの確率で「就業時間外」に被災する計算になる。今回の地震を見てもわかるように、災害発生後72時間は行政や自衛隊・消防の方々は人々の命を守る活動に全力を尽くすため、その間に生き残った人はどうしても「自助」によって生き延びねばならない。自宅の耐震化や食料・飲料をはじめとしたさまざまな備蓄が、災害時には不可欠なのだ。

耐震化については、名古屋大学名誉教授であいち・なごや強靭化共創センター長の福和伸夫氏がそのコラムの中で以下のように指摘している。

「石川県、輪島市、珠洲市の住宅の耐震化率は、それぞれの耐震改修促進計画によると、78%、45%、51%にとどまっていました。全国平均の87%と比較して、相当に低い状況にあります。ちなみに名古屋市の耐震化率は92%です。空家率も石川県は14.5%と、全国平均の13.6%、名古屋市の12.7%と比べて高くなっています。この原因は、過疎化と高齢化にあります。」

▼阪神淡路大震災から29年、能登半島で再び目にした甚大な被害と耐震などの課題

もちろん、企業側も備蓄しなければいけないことに変わりはない。今回筆者たちがインタビューした富山県に拠点のあるゼネコンA社の担当者は、「普段から備蓄は多めにしていたが、被災地にいる従業員に備蓄していた水を提供したため、備蓄の水が無くなってしまった。もっと多く備蓄しておいてもよかったのではないかと考えている」と当時を振り返っている。被災地にいる従業員を支援するためにも、企業は備蓄についての考え方をもう一歩進める必要があるかもしれない。

能登地震による経済への影響

帝国データバンクの調査によると、今回の地震で被害の大きい「能登地方」に本社を置く企業は4075社。能登半島地震による自社の企業活動への影響について、『影響がある(見込み含む)』企業は全国で13.3%。北陸地域では43.2%にのぼる。全国の企業の94.9%が今回の地震を機に「企業防災」の大切さを改めて実感したとする。なかでも「飲食料備蓄」「連絡網の整備」が4割近くで上位。「BCP(事業継続計画)策定・見直し」は5社に1社に留まった。

同社の調査によると、「社屋の一部が損壊した。幸い生産設備に問題はなかったが、一部配管漏洩や防煙ガラス破損、部材転落などの被害があった」(精密機械、医療機械・器具製造、富山県)といった、地震による直接的な影響のほか、「材料が納入できなくなり、工期延長が発生した」(建設、埼玉県)や「金属製品の納入を検討していたが、取引先の工場が被災して納品時期が不明とのことで、別製品に切り替えることになった」(専門サービス、茨城県)などのように、被災地域以外でも事業に影響がみられている。

▼能登半島地震の影響と防災に関する企業アンケート(「令和6年能登半島地震」関連調査/帝国データバンク)

同社が2023年6月に行ったBCP策定率に関する調査によると、(有効回答数/全国1万1420社)BCP策定済み企業は18.4%。「策定意向あり」は48.6%だが、3年連続で5割を割り込んでいる模様だ。規模別に策定状況を見てみると大企業では35.5%、中小企業は15.3%。策定している企業では7割が対象としているリスクとして「地震などの自然災害」を挙げている。

「BCPを策定できない理由」については「策定に必要なスキル・ノウハウがない」が42.0%で最も高かった(複数回答、以下同)。次いで、「策定する人材を確保できない」が30.8%、「策定する時間を確保できない」が26.8%で続いた。企業のBCP策定がまだ進んでいない状況が分かる。

「備蓄」「安否確認」そして「訓練」

今回の視察で取材したビジネスホテルのB社では、支配人が昨年11月に赴任したばかりだったが、たまたま年末に避難訓練を実施していたこともあり、施設の状況についてはある程度把握できていたという。「訓練をしていたおかげで、災害があったときにも被害状況の確認や安否確認など落ち着いて対応ができた。本来は4半期ごとに訓練をすればよいが、できれば毎月でも訓練をしたほうがよいのでは」と訓練の重要性を訴える。また、前述したA社も「毎年のBCP訓練が役に立った。被災地の通信状況が非常に悪く、最後の一人の安否確認に手間取ったが、現場の上司が根気よく連絡をしてくれ、災害発生の次の日には安否が確認できた」としている。双方とも共通していたのは、備蓄や安否確認、そして訓練というBCPの「基本」が役に立ったということだ。付け加えれば、日ごろからの訓練などのおかげで「従業員が災害時に自主的に動いてくれた」ことがとても役に立ったとしている。

様々な理由で、BCP策定に踏み出せない企業も多いが、まずは「備蓄」と「安否確認」というBCPの基本から進めてみたらいかがだろうか。備蓄にしろ安否確認にしろ、やり始めるとさまざまな悩みが出てくるだろう。備蓄であれば「何をどのくらい備蓄したらよいか」に始まり、アレルギーなどがある従業員への対応や女性やLBGTQ+への配慮、感染症対策や備蓄品の配布の仕方、賞味期限のメンテナンスなど考えることはたくさんある。安否確認もシステムを導入すればいいというものではない。集計方法や部署ごとの確認方法、安否が確認できない従業員への対応はもとより、安否確認を「入力できない」地域が最も被害が大きいという「情報の空白」問題、家族に被害があった従業員へのメンタルヘルスケアなど、システムを導入してから考えるべきことは山積している。できればその2つをどのように活用するかを日ごろから訓練しておくことが望ましいだろう。

首都直下地震や南海トラフ地震だけでなく、4つの大きなプレートが重なり、2000本以上の活断層が複雑に絡み合う日本では、今回の能登地震のようにいつどこで大きな地震が発生してもおかしくないといわれている。繰り返しになるが、BCPの導入を迷われている企業は、まず「初めの一歩」として備蓄と安否確認からはじめていただきたい。BCPをすでに策定されている企業は訓練を通じて、その実行力を高めていただきたい。どれも基本的な項目だが、基本をしっかり、粘り強く続けることが災害対応能力向上につながるだろう。

「備えていたことしか役に立たなかった。備えていただけでは十分ではなかった」

私がいつもセミナーの最後に紹介している「東日本大震災の実体験に基づく災害初動期指揮心得」(国土交通省 東北地方整備局著)の中の言葉だ。今からでも遅くはない。従業員と事業を守るために、経営者には来るべき災害に対してしっかりとした「備え」をしていただきたい。

(了)

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