SPNの眼

危機管理おやじのつぶやき~「ソーシャルメディア社会の課題」(上)(2013.9)

2013.09.04
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 ソーシャルメディアの発達によって、コミュニケーション手段の多様化や利便性が向上したことで、私たちの生活や仕事にも大いに役に立っている反面、その利用方法を誤った事例もここ最近目につくようになった。

 例えば、ホテル従業員が芸能人の宿泊後の部屋の状況を撮影した画像をSNS(SocialNetworkingService)上にアップしたり、アミューズメント施設で友人達が禁止行為をしている画像をSNS上にアップしたり、さらに、最近では、アルバイト従業員等が売り場のアイスケースの中で寝ころんでいる画像や、女性従業員が配付する弁当の上に腰かけている画像、男性従業員が山盛りのハンバーガーバンズの上に寝転んでいる画像等々、職場内で食品衛生上問題とされるような行為を平気で行ない、それをSNS上にアップするという不祥事案が連鎖反応のように続発している。そして、これらの行為によって店舗が閉鎖に追い込まれようが、マスコミが叩こうが、損害賠償を求められる可能性が示唆されようが、止むどころかエスカレートするという状況に、おやじの私としては恐ろしささえ覚えるのである。

 今回は、このようなソーシャルメディア社会に直面する課題について、2回にわたってつぶやいてみたい。

1.メディア社会の変化

 従来型メディア、すなわち、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌等における情報は、一方的に不特定多数に発信され、それ以外の大衆(個人)は情報を受け取るだけという構図(一方向性)であった。そして、職業記者等が取材に基づいた記事を書き、放送倫理委員会等の検閲機能も含め、発信される情報は一定の倫理水準が保証されていたように思う。

 一方、インターネットやSNSでは、誰もが手軽に情報を発信できる中、規制はあっても、規制をすり抜けたり、身元が明かされないよう雲隠れしてしまうことも容易なため、その倫理水準を保つことが非常に難しくなっている。

 では、インターネットにおける情報についてはどうか。まず、インターネットの特性としては、以下のようなものが挙げられるだろう。

①双方向性
双方向での情報のやり取りが可能(ただし、依然として「一人対多数」が主)

②匿名性
匿名でも情報発信できる

③速報性
瞬時に伝達できる

④広域性
広域にわたり情報伝達できる

⑤蓄積性
一度投稿した情報は、削除することが難しく半永久的に残る

⑥低い倫理水準
一般のネットユーザーが自由に書くため、一定の倫理水準が保証されない

 このインターネットの普及に伴い、企業は誹謗・中傷、風評被害などへの対策が余儀なくされている。そして、さらに、ソーシャルメディアにあっては、前掲のインターネットの特性に加えて、以下のような特性が追加される。

①多方向性
情報の発信、受信、拡散、すべてをコミュニティ内の各個人が担う多方向の関係があり、誰もが、インターネットを通じてなんらかの情報を発信する「メディア」として能力を持ちうる。

②実名性
Facebookをはじめ、近年、実名登録が増加している。

③発信速度の高速化(速報性の強化)
スマートフォン、タブレット端末等の爆発的な普及により、ユーザーがいつでもどこでも情報をやり取りできる環境が整っている。以前、インターネット上のホームページを運用する場合であれば、専門的な知識がなければ、素人では開設や更新も難しかったものが、今では移動中の電車の中等でも、ブログの更新やTwitterでつぶやくことができる状態にある。

④拡散速度の高速化(広域性の強化)
フォロワー数の多いTwitterのアカウントにおいては、情報拡散の影響力がそれだけ大きくなる。例えば、Twitterのフォロワーを1000人持っている人が、一回投稿した場合、その投稿を受け取った1000人のフォロワーがさらに投稿するなどしてねずみ算式に拡がっていく。そのため、情報の拡散速度と範囲は絶大なものとなるのである。ましてや、有名人や大企業のアカウントとなると、フォロワー数が、1万人、10万人の単位となるため、電子メールやホームページ等の情報発信力とは比較にならない。

 このような特性を有するソーシャルメディアの急速な普及によって、個人における情報発信やコミュニケーションに留まらず、企業においても、マーケティングや広報、人材採用等、多様な領域において活用されるようになり、その重要性は年々増していると言える。

2.ソーシャルメディアに関する教育について

 本項では、このようなソーシャルメディアの特性と急速な普及に対して、企業はどのように対処していったらよいか、とりわけ「教育」について考えてみたい。

 一般的に、ソーシャルメディアに関する教育でまず行われるのは、適切な利用を促進することであると思うが、その際、教育の対象者、対象範囲を明確にし、不適切な利用に起因した炎上等が個人・企業に及ぼす影響やその危険性等について、十分に認識させる必要があると言える。しかしながら、実は、ソーシャルメディア社会においては、「利用する者」だけに教育を徹底するだけでは企業危機管理上は不十分であることもご理解をいただきたいと思う。

 以下に、教育に関する注意点について、「危機管理」の考え方に立って述べてみたい。

 まず、「キキカンリ」という言葉を使って「危機管理」について考えてみると、「危機管理」は、「危(危ない)機(タイミング)管理」というように解釈すれば、「危ないと思ったそのタイミングで諸々の対処を行うこと」という意味になる。この意味で考えると、いわゆるヒヤリ・ハット法則と言われるような、小さいながらも「危なかった」と思った時、「ヤバイかも」と感じた瞬間、当社なりに言い換えれば、ミドルクライシスを認知した時点でいかに対処するかが重要である。つまり、その時点で、大事故の予防と危ない事態の再発防止に向けたリスクマネジメントを行うことが重要と言うことである。

 そして、「危(危ない)機(タイミング)管理」、すなわち「危ない」と思ったそのタイミングで適切な対処を行う上では、「機器(ツール)管理」と「気(人の気持ち)機(機転)管理」が不可欠である。

 まず、「機器(ツール)管理」については、ツールの適切な使い方と、関連する知識を習得・習熟することと解釈することが可能であり、その使い方を間違えれば、大きな事故や不祥事に発展することを意味する。

 今回のテーマで言えば、従業員がSNSの使い方を誤り、悪ふざけの写真を投稿することで、種々の企業活動上の損害が生じていることがその最たる例と言える。「機器管理」を適切に行うためには、ツールの使い方をしっかりと教育しつつ、利用状況をモニタリングしながら、逸脱があれば適宜是正・指導を行っていかなければならない。

 ただし、最近では、ツールが多機能化する一方で、それらが置かれている全体の仕組みへの無知・無理解、本来の使い方を無視した自分勝手な運用、不慣れな状況での低いリスク認識での利用、慣れ・便利意識によるリスクへの視野狭窄等の問題が蔓延していることから、行われるべき「教育」や「モニタリング」、「是正・指導」のあり方も、より一層深いレベルでの対応が求められていることは言うまでもない。

 なお、SNSというツールに関して言えは、例えば以下のような懸念点が挙げられる。

①今般、SNSの最初の「S」は「Social(社会)」ではなく、「Self(自分自身)」のネットワークを広げるための自己アピールのツールとして利用されているケースが多いこと

②インターネットという、国内のみならず全世界へ窓口を開けたリスクホールを前提としたツールであることが忘れられていること

③様々なサービスの連携や実名登録化の動きにより、「匿名空間」ではなく「現実の自分」に影響が及ぶ状況になっていることへの理解が乏しいこと

 これらの懸念点こそ社会全体で検討・対処していかなければならない事態であると言える。

 学校教育や社会制度論はさておき、上記②で言えば、「全世界へ窓口を開けたツール」であるということは、自分を不特定多数の人の前に晒しているということであり、いざ、自分の発言や投稿で炎上等の騒ぎが起きてから、そのことに気づいても手遅れなのである。ましてや、「関係ない人が何を騒いでいるんだ」、「自分の投稿を勝手に拡散させている」、と憤ってみても、それは完全に筋違いであり、自己責任なのである。

 そして、インターネットをはじめ各種アプリなどの便利なツールというのは、最初は恐る恐る使っていても、何事も無い状況が続くと、「大丈夫なんだ」と勝手に安心して、警戒感やリスク意識が低くなり、どんどん深みに嵌っていくという麻薬のような性格をもっている。いつの間にか中毒になり、それを使うことのリスクを完全に見失ってしまう。麻薬中毒であれば隔離等により治療する機会があるが、インターネットやこれらのツールは、一度使うと、特にそれが社会全体に普及すればするほど、それを使わないように仕向けるのは困難になっていくと言える(最近では「ネット断食」なる療法もあるようであるが…)。

 また、インターネット上に発信した情報は、自分で消しても他の不特定多数の人々が過去の情報を閲覧・保存しているため、一度発信すれば、それを完全に消去することは不可能であり、「消せない過去」が、いつまでも現実の社会の自分に付きまとう、そういう非常に怖い仕組みでもあることも正しく理解させることが重要となる。

 使い方を間違うと自分自身を苦しめるツールになるということを十分に説明していくこと、そして実際にTwitter等の書き込みから、「あなた」が容易に特定できることを実際に示し、身近な脅威であることを直接的にイメージさせることが不可欠なのである。(続く)

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