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【第3回】企業不祥事の原因は企業風土!企業に求められる道徳とは!?~論理的に説明しきれないコンプライアンスの世界~

2024.06.04
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総合研究部 上級研究員 安藤未生

コンプライアンスのイメージ画像

※本稿は全3回の連続掲載記事です。今回は上記6.~8.を掲載します。

6.人へ投資する際の尺度とは

前回、20世紀から見られる暴力の減少の背景として、道徳感覚(心理的過程)を説明する「人間関係モデル」のうち「市場値付け」あるいは「合理合法」についてご紹介しました。今回は、もう1つの背景として、人間の知能についてご紹介します。

(1)現代社会では「知識」や「知能」に価値が見いだされるが…

経営学者のピーター・ドラッカー氏は、現代社会を「知識社会」と呼び、「知識」が社会における中核的資源となり、「知識労働者」が社会の中枢を占める社会であると捉えました[1]。現代社会では「知識」に価値が見出されるのであれば、企業としては、もともと「知識」のある人や多く「知識」を吸収できる人、つまり「知能」の高い人を採用するなど、「知識」あるいは「知能」に投資をしていくべきという発想になるのが自然です。

そうすると、企業は、ある難問に向き合わなければなりません。後述する科学的なデータによると、人種や性別よるIQ(知能指数)の分布に差があることは明らかなのですが、それを根拠にIQの高い人が生まれる確率の高い属性(白人と男性)に集中的に投資をしようとすると、「人種差別だ」や「性差別だ」といった社会的批判を浴びることになるからです。したがって、企業が人への投資の方向性を決める上で「効率性を採るのか、それとも道徳や正義を採るのか」という問題が出てきます。言い換えると、「ある程度の無駄を覚悟の上で、道徳や正義に投資をするのか」ということです。また、第1回でご紹介した人的資本経営は、人に投資して中長期的な企業価値向上につなげることですから、「中長期的な視点では、効率性を重視する場合と、道徳や正義を重視する場合のどちらが有利なのか」という問題に向き合わなければなりません。

(2)アメリカでは「人種と知能」は最大のタブー

人種によってIQの分布に差があるという研究結果は、単なる統計的な事実でしかないのですが、「差別的だ」と憤激の嵐にさらされます。特にアメリカでは「人種と知能」は最大のタブーであり、激しい論争を巻き起こし、リベラル派と保守派の終わりのない罵倒の応酬を引き起こします。例えば、行動計量学者のリチャード・ハーンスタイン氏と政治学者チャールズ・マレー氏が1994年に発表した『ベルカーブ:アメリカ生活における知能と階級構造(The Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life)』では、白人と黒人のIQの平均が1標準偏差以上離れていることが示されました。白人の平均を100とすると、黒人の平均は85になるというのです。アメリカでは、マーティン・ルーサー・キング牧師を中心に人種差別との闘いが始まった1960年代から公的機関によって白人と黒人のIQ格差が測定されており、1960年の平均値は白人が101.8、黒人が80.7でした。つまり、1994年にハーンスタイン氏とマレー氏が公表した結果は、長期にわたる人種差別との闘いによって、人種間の教育格差の是正に取り組んできたにもかかわらず、白人と黒人のIQ格差はほとんど変わっていなかったという事実をアメリカ社会に突きつけたのです。誤解のないように申し添えると、下図のとおり、黒人の一部は白人の平均値100を超えていますし、逆に白人の一部は黒人の平均値85を下回っていますから、「全ての白人は黒人より優秀だ」ということではありません。[2][3]

黒人と白人のIQ分布(NLSY[全国縦断調査])

何故、人種の違いによってIQの分布に差が出るのでしょうか。イギリスの認知心理学者リチャード・リン氏が、世界各国で行われた知能テストの結果を収集したところ、IQは地域(大陸系統)によって明らかな違いがあり、周辺国の値は民族や文化、社会・政治制度の違いにかかわらずよく似ています。ユーラシア系(南米アメリカなども含む)のうち、IQでアフリカ系を下回る国は1つもありません。これは、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸を出た比較的早い段階で、何らかの要因で知能が上昇したことを示しています。リン氏はその理由を「ユーラシア大陸はアフリカより寒いから」と説明しています。ホモ・サピエンスは無毛なので、寒く厳しい冬を乗り越えるには、毛皮を身にまとい、暖かな住居をつくり、夜通し火を焚き続けなければなりません。こうした技術は熱帯や亜熱帯に属するアフリカの暮らしには不要なものです。また、四季がはっきりしているユーラシア大陸では、寒暖によって食料の獲得方法も変わります。とりわけ冬から初春にかけて動物は冬眠し、植物も実をつけないため、食料を効果的に貯蔵できなければ餓死するしかありません。冬でも活動する少数の大型動物(マンモスやオオツノジカ)はサバンナの動物よりもはるかに狩るのが難しかったでしょう。こうした自然環境の変化による淘汰によって、知能の高いホモ・サピエンスが生き残り、数万年をかけて徐々にIQを引き上げていったのです。[4]

(3)男女の違いの指摘は非難を浴びる

人種と並んでしばしば問題になるのは性別です。経済学者で、アメリカのクリントン政権で財務長官を務めたローレンス・サマーズ氏は、ハーバード大学の学長時代に、科学と工学分野の研究者に男性が多い理由について、「女性は統計的にみて数学と科学の最高レベルでの研究に適していない」と述べ、これが女性差別との非難を浴びて学長を辞任することになりました。サマーズ氏は「女性は生得的に知能が低い」と発言したわけではなく、後述のような統計的な事実として、男女で知能の優位な分野に偏りがあることと、男性の方が知能の分布のばらつきが大きいことを指摘しただけです。1970年代から「男女で知能に差はないが、ばらつきが異なる(男女のIQの平均は同じでも標準偏差は男性の方が大きい)」と指摘されていました。心理学者のハンス・J・アイゼンク氏とレオン・J・カミン氏の共著『知能は測れるのか―IQ討論』によると、下図のとおり平均的な知能を持つのは女性の方が多く、極端に知能が高かったり低かったりするのは男性が多いのです。男性の方が極端なことが起こりやすいなら、超天才が男性である可能性は極めて高い一方で、極端に知能の低い人数も男性の方が多いということになります。[5]

男性と女性のIQ値の分布

さらに、認知科学の多くの研究では、男女で知能の優位な分野に偏りがあり、男性は空間把握能力や論理・数学的能力に優れ、女性は言語能力や共感力に秀でていることも繰り返し確認されています。このような男女の違いは、ホモ・サピエンスが狩猟採集をしていた時代の生活様式に起因します。当時は、男性は集落から離れて狩猟を行い、女性は集落の周辺で乳幼児の世話をしながら採集をしていました。現代の進化論では、この性別役割分業から男女の知能の違いが生じたと説明されています。進化心理学による標準的な説明によると、男性は、サバンナで獲物を狩る際に、高い空間把握能力を持っていなければ集落まで戻ることができません。母親たちが、集落周辺で一緒に果実やナッツ、穀類などを採る際に、ずっとお喋り(噂話)をしていたのであれば、そこで高い言語能力や共感能力を持っていなければ仲間外れにされてしまいます。[5]

(4)一般知能を重視すると差別を生み、コンプライアンス違反になる可能性がある

人種や性別によるIQの違いは、環境に適応する中での進化の結果であり、遺伝によって脳が設計されているのは、人間が生物である以上、至極当前のことなのですが、その事実を研究者が発表すると、社会から受け入れてもらえず、しばしば「差別だ」と怒りを買っています。これは、企業にも同じことが言えるでしょう。仮に「わが社は効率的に(無駄がないように)投資するため、統計的にIQが高い白人と男性に対して集中的に投資する」などと発表したら、SNSでキャンセルカルチャーが蔓延している昨今において、大規模な不買運動にも発展する可能性があります。特に、一般消費者の影響力が大きい企業においては、「倫理的消費(エシカル消費)」の存在も無視できません。「倫理的消費(エシカル消費)」とは、消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援したりしながら消費活動を行うことで、ここでいう社会的課題には当然ながら人権問題も含まれます[6][7]。消費者庁の委託を受けて、株式会社インテージリサーチが2020年に実施した調査によると、消費者の意向として、倫理的消費(エシカル消費)につながる商品やサービスの購入を希望する割合は81.2%もあって、非常に高いことが分かります[8]。このように、効率性や科学的根拠と、道徳や正義は両立しない場合があるのです。企業としては、中長期的な視点に立つと、ある程度の無駄は覚悟の上で、道徳や正義に対する投資が必要になると考えられます。

エシカル商品・サービス 購入意向

特に、企業に対する国際的な要請として、人権尊重があります。2011年に、グローバル化の進展によって、企業活動が人権に及ぼす負の影響が拡大し、企業活動による人権侵害についての企業の責任に関する国際的な議論がより活発になる中で、「ビジネスと人権に関する指導原則:保護、尊重及び救済の枠組みにかかる指導原則」が国連人権理事会において全会一致で支持されました。同原則では、国家の人権保護義務・企業の人権尊重責任・救済へのアクセスの3本柱を規定しており、国家と企業は、相互に補完し合いながらそれぞれの役割を果たしていくことが求められています。もちろん、企業がそれを承知の上で、リベラル派ではなく保守派に寄り添う選択もあり得るとは思いますが、人権尊重は日本政府から企業に対する要請でもある以上、それに反することはコンプライアンス違反となる可能性が高いです。[9][10]

そもそも、「知能」とは何でしょうか。これまで言及してきたIQは、主に「一般知能」であり、具体的には言語運用能力と数学・論理能力を指します。行動遺伝学によれば、この一般知能の遺伝率は77%で極めて高いです。アメリカの心理学者エドウィン・ボーリング氏は「知能とは知能テストが測ったものである」と定義しています。欧米や日本で知能テストの結果が広く使われているのは、教師の実感も含め、学業成績と相関し学校教育が要求する「頭の良さ」を測っているからであり、IQが高い子どもは成績が良いだけでなく、社会的・経済的にも成功しやすいことも様々な研究で繰り返し確認されているからです。知識社会においては、狩猟採集時代はもちろん中世ですら大して重視されてこなかった「知能」によって人生の成功と失敗が大きく左右されます。前述のとおり、知識社会は、知能の高い者が最も有利になる社会なのです。したがって、知能テストは、このような知識社会への適応度を計測しています。作家の橘玲氏は「『差別』の根源は、一般知能(言語運用能力と数学・論理能力)を極端に重視する現代社会そのものなのだ。これは、知能の格差を論じることを『差別』と言い立てるひとたちこそが、知能に深くとらわれていることを示している」と述べています。[11]

(5)多様性がない組織は企業不祥事を生む

アメリカの社会心理学者アーヴィング・ジャニス氏が提唱した「集団思考(groupthink)」という概念があります。これは、日本では「集団(的)浅慮」と訳されることもあり、外部と隔絶し、多様性がない集団が意思決定を行うと、かえって短絡的な決定がなされる現象が起きるというものです。集団思考は、自らの集団への過剰な評価、閉鎖的な発想、画一性や同調への圧力によって生まれます。これによって、極端に危険な結論を出す場合や、慎重になりすぎる場合があり、組織としては非常に危うい状況です。ジャニス氏は、アメリカにおける対外政策の決定過程を検討した結果、極めて優秀なメンバーで構成された集団(主にアメリカの安全保障会議)が満場一致で非常に誤った決定(ケネディ大統領の下でのキューバ侵攻作戦、ジョンソン大統領の下でのベトナム北爆など)を下してしまうことがあると指摘しました。日本の研究者たちも、帝国陸軍の誤った決断、多数の日本企業の不正や不祥事、福島第一原子力発電所の事故の原因として集団思考を挙げています。[12][13][14]

集団思考は、ことわざの「三人寄れば文殊の知恵」とは真逆のものと言えます。「三人寄れば文殊の知恵」は、多様な考え方を持った人が集まるからこそ成立します。多様性があれば、「三人寄れば文殊の知恵」を実現し、集団が誤った方向へ突き進まないようにブレーキがかかるのです。中長期的な視点に立つのであれば、人への投資の際の尺度を複数用意することで、企業不祥事を生まないためのリスクヘッジができると考えられます。

(6)近代科学が生んだ新たな知能

遺伝率77%[15]の一般知能を極端に重視することが差別を生むのなら、企業に人権尊重が要請されている中で、企業は一般知能とは別の尺度に重きを置くべきと考えられます。1987年に、ニュージーランドの政治学者ジェームズ・フリン氏は、知能に関する様々なデータを総覧した結果、14か国でIQが一世代で5~25ポイントも上昇していることを明らかにしました[16]。これは後年になって「フリン効果」と名付けられ、発展途上国の一部も含めた30か国で確認されており、知能検査が初めて大々的に行われた第一次世界大戦前後の時期からずっと見られ、10年ごとに平均してIQが3ポイント(1標準偏差の5分の1)上昇していたのです。フリン効果を額面どおり受け取るなら、今日の平均的な10代の若者が1910年代にタイムスリップするとIQ130となり、当時の98%の人々よりも賢いことになりますし、逆に、不穏な表現にはなりますが、1910年代の典型的な人が現代にやってくるとIQ70となり、精神遅滞のボーダー(境界域)になってしまいます。1910年の世界が、今日では精神遅滞とみなされる人々でいっぱいだったとは考えにくいですから、フリン効果は額面どおりに受け取れないでしょう。[17]

さらに、フリン効果は十年単位、年単位で測ることができますから、行動遺伝学の知見に基づき、一般知能の遺伝率は77%[15]だとすると、残る23%だけでフリン効果を説明することは困難です。フリン氏自身も、全体的な健康面の向上や異系交配(族外結婚)の増加を、フリン効果の要因から除外しています。つまり、フリン効果はほぼ確実に環境由来なのです。そこで、フリン効果の謎の突破口となったのは、フリン効果によるIQの上昇が一般知能の向上ではないと分かったことです。仮に一般知能が向上していたとすると、語彙・数学・記憶力なども含めた全ての検査において上昇が見られるはずですが、実際に大幅な上昇が見られたのは、抽象的な推論に関する「類似」や「行列」のような検査ばかりでした。その謎の環境因子が何であるにせよ、それによって高められる知能の種類は極めて限定的で、脳の威力そのものが高められるわけではなく、抽象的な推論に関する検査で良い成績を収めるために必要な能力だけが高められるのです。[18]

フリン氏は、この新たに浮上してきた能力を「近代科学以降の思考とみなしています。知能検査のうち、抽象的な推論に関する「類似」の問題に「イヌとウサギに共通する点は何ですか」があります。現代を生きる私たちの回答は「どちらも哺乳類である」でしょう。しかし、1900年当時のアメリカ人なら「イヌを使えばウサギが狩れる」と答えていたとフリン氏は推測しています。「1900年当時の人たちは『イヌとウサギがどちらも哺乳類なんて、誰が気にする?』と思っただろう」というのです。つまり、1900年当時の人たちにとって重要なのは、「自分にとって役に立つものは何なのか」や「自分にコントロールできるものは何なのか」なのです。これに関しては、心理学者のマイケル・コール氏やアレクサンドル・ルリヤ氏などが行ってきた、近代以前の人々に関する研究でも例証されています。近代以前の人々にとって、自らの経験とは関係のない「イヌとウサギがどちらも哺乳類」といった抽象的な推論あるいは純粋な論理は、事実に関して何も教えてくれませんし、事実に関することを教えてくれるのは自らの経験でしかありません。しかしながら、現代の知能検査は、自らの経験だけで良い成績を収めることはできません。現代の知能検査は、抽象的な形式的推論を引き出そうとするからです。つまり、現代の知能検査では、自らが属する小さな世界に限定された偏狭な知識から切り離されたところに自分を置いて、純粋に仮定的な世界での仮定条件から、その意味するところを問われるのです。では、フリン効果の大半が、環境由来の近代科学以降の思考能力の高まりだとすると、それを高めたのは学校教育でしょう。20世紀で世界の学校教育の本質は一変し、比例、百分率(パーセンテージ)、因果関係、中央値、トレードオフ、費用便益分析などといった多くの抽象概念を使った科学的推論が、人々の日常の思考に浸透していったのです。[19]

ハーバード大学心理学教授で、認知科学者及び進化心理学者のスティーブン・ピンカー教授は、20世紀のあいだに人々の推論能力(とりわけ、直接的な経験だけにとらわれず、狭い視野から脱却して、抽象的な用語で、ものを考える能力)が着実に高まってきたことで、20世紀後半の暴力の減少に見られるように、より道徳的な行動ができるようになったと考察しています。フリン効果で最も高まった推論能力は、直接経験した具体的かつ詳細な出来事を抽象化することであり、それはまさしく「悪い白人もいれば善い白人もいるように、悪い黒人もいれば善い黒人もいる。だから肌の色を見ただけで、その人が善いとか悪いとかは言えない」のように、自らの世界・属性を超え、他人の立場に置き換えて考えることです。この60年間の道徳の進歩には、目を見張るものがあります。(まだ世界のあらゆる国で実現しているわけではありませんが)人種や宗教の別なく全ての人が平等の権利を得られていることも、女性があらゆる強制から解放されるべきとされていることも、子どもを叩いてはならない、生徒をいじめから守らなければならないことも、同性愛が何ら悪いことではなくなっていることも、実は人類史においてほぼ前例のないことばかりなのです。こうした道徳の進歩の背景に、抽象的な推論能力(近代科学以降の思考能力)の高まりが存在しています。言論の自由、寛容、人権、民主主義といった、もともとは抽象的な政治の文脈で使われていた言葉が次第に外に広まって、日常的な思考の一部となったのです。この進歩は知能の増大と言って差し支えないでしょう。[20]

逆に、抽象的な推論能力(近代科学以降の思考能力)の上昇効果が蓄積され始める“前”の時代には、どのような信念が一般的だったのでしょうか。今から一世紀前には、何人もの偉大な作家や芸術家が、戦争の美しさや気高さを褒めたたえ、第一次世界大戦を積極的に歓迎していました。当時のアメリカの大統領たちの考え方はどうだったかというと、セオドア・ルーズベルト大統領は、「善良なインディアンは死んだインディアンだけ」とネイティブ・アメリカンの大量虐殺は必要なことだったと書き記しています。ウッドロー・ウィルソン大統領は白人至上主義者で、自らがプリンストン大学の学長をしていた時には黒人の入学を許さず、連邦政府から黒人職員を一層していましたし、外国系移民に関して「みな短剣を隠し持っていて、隙あらばいつでもこの国の中枢に突き刺そうとする」と発言しました。フランクリン・ルーズベルト大統領は、敵国である日本の国民と同じ人種である10万人のアメリカ国民を強制収容所に追いやりました。そして、大西洋の反対側で、イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、若い頃「私はインド人が大嫌いだ。汚らわしい宗教を持った汚らわしい民族である」と発言しました。当時の人々は、こと自分の人種に関する限り、多くの面で聡明かつ思いやり深いのですが、他の人種の人間に対しても同じ考えで接しようなどとは思い至りもしなかったのです。[21]

前述のとおり、現代では人種差別がコンプライアンス違反に該当し、多様性のない組織が企業不祥事を生みますから、企業としては、一般知能よりも、抽象的な推論能力(近代科学以降の思考能力)に基づく、自らの世界・属性を超え、他人の立場に置き換えた思考力の方を重視する方針の下、人へ投資することが適切だと考えられます。

企業が人に投資する際に重視すべき尺度

7.企業はどの人権を守るのか

前項では、国際機関や日本政府から企業に対して人権尊重の要請がある中で、企業が重視すべき能力(抽象的な推論能力)についてご紹介しましたが、企業は次のステップとして「どの人権を守るのか」という難問に向き合わなければなりません。本項では、この難問について、性的マイノリティの人権と信仰の自由を例に考察します。

(1)性的マイノリティ(LGBTQ+)の人権か信仰の自由か

下図は、認定NPO法人虹色ダイバーシティがILGA Worldの報告書「State-sponsored Homophobia」を参照して日本語訳をした上で、2023年2月までの婚姻の状況をアップデートした「性的指向に関する世界地図」です[22]。中東諸国やアフリカ諸国を中心に、同性間の関係を犯罪扱いにしている国が多いことが分かります。

性的指向に関する世界地図(2023年2月時点)

イスラム教では、多数派を占めるスンニ派の四大法学派(マーリク学派、シャーフィイー学派、ハンバル学派、ハナフィー学派)の全てが同性愛的行為を非難しています。イスラム教で同性愛的行為・同性婚が非難される根拠として、聖典コーランや預言者ムハンマドの言行録ハディースで登場するルート(あるいは旧約聖書のロト)の記述が挙げられます。ルートとは預言者の1人です。預言者ルートの男性客を襲おうとした「男色狂」のソドムの住民達は、アッラーによる懲罰を受けて殺されたという趣旨の記述があるのです。(なお、コーランやハディースは女性の同性愛者については全く触れていません。)同性愛的行為を不道徳とする解釈は、イスラム社会において実際的かつ圧倒的な影響力を持っています。例えば、イスラム社会の中でも保守的とされる中東では、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など数か国で同性愛が死刑に値する犯罪と考えられています。世界一のムスリム人口を誇り、かつ中東イスラム諸国の性的マイノリティを取り巻く状況よりは「まし」とされるインドネシアでも、保守派イスラム勢力による反LGBT活動が近年活発化しているようです。[23]

キリスト教も、同性愛嫌悪(homophobia)をけん引してきました[24]上記の預言者ルートの記述は、旧約聖書のロトに関する記述として存在し[23]、生殖に結びつかない性行為を禁止する法制度の総称である「ソドミー法」の語源も聖書から引用されたものです[24]。2021年には、イタリア議会において、性的マイノリティや女性、障害者に対する差別や暴力を扇動する行為を処罰する法案(ザン法案)が審議され、下院では可決したのですが、それに対して、キリスト教カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)が「1929年にヴァチカンとイタリア王国が締結したラテラノ条約で確保された信仰の自由を抑制するものだ」と抗議し[25]、結局、上院で否決されました[26]。なお、キリスト教徒が多い国でも同性婚を認めている理由については、アメリカの例を後述します。

さて、世界三大宗教のうち残るは仏教ですが、ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は、「古代インドで仏教をひらいたお釈迦さまは、身分にかかわらず、誰でも悟りの境地に達することができると説いた。お釈迦さまは女性の修行僧も認めていた。そもそも仏教の教えには、性の差別は存在しないのだ」としつつ、日本の仏教について「6世紀、仏教が日本に入ってくると、状況が変わる。土着的な神道と、外来の仏教とが混じり合う(神仏習合)ことが契機になり、性による区別を始める。比叡山や高野山など仏教聖地で女人禁制が敷かれるようになった。江戸時代に入り、檀家制度が導入されると庶民への弔いが一般化する。そこでは、性の区別がより明確化されていく。例えば戒名。戒名(位号)は基本的には男女分けだ」「仏教界では最近、こうした矛盾に関して議論が活発化し、LGBTQを積極的に受け入れる寺院や僧侶も現れた」と述べています。[27]

日本の土着の宗教(日本固有の民族宗教)である神道は、他の宗教と比べて異質な宗教です。宗教学者の島田裕巳氏によると、神道には開祖にあたる人物がおらず、宗派を開いた宗祖や、誰もが名を知っている神主や神道家などもいませんし、(神道家が仏教や儒教などの思想を借りてきたものは別として)一般の人たちが実践することで救いを得られるような分かりやすい教義も生み出されていません[28]。前述のとおり、鵜飼氏によれば、神道と仏教が混じり合うことで、日本の仏教では性による区別が始まった[27]とされていますが、神道には、性的マイノリティに関する明確な教義は存在していないようです。神社本庁(伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人)は、「神道の考えには、同性婚を肯定するものも否定するものもない」とし、同性婚の受け入れの可否については各神社に判断を委ねるとの姿勢を示しています[29]。

そうすると、企業は性的マイノリティと宗教(イスラム教やキリスト教)の関係をどうするのか、つまり「従業員、顧客、投資家等のステークホルダーの中に、性的マイノリティとそれを嫌悪する宗教の信者(イスラム教徒やキリスト教徒)がいた場合、企業はどちらの味方をするのか(性的マイノリティの人権を守るのか、それとも信仰の自由を守るのか)」という問題が出てきます。ステークホルダーがわざわざ企業に自らの性的指向・性自認や信仰について申告してないとすると、企業がどちらか一方のスタンスに立った場合、意図せずにステークホルダーの尊厳を傷つける可能性があります。さらに、第2回でご紹介した安全イズム(安全に固執することであり、現実のものも想像上のものも含め、安全を脅かすものを取り除くことに夢中になり、他の現実的かつ道徳的な問題による合理的な必要性があっても、安全について妥協しなくなること)によって、人々が自分の考えや道徳的信念に挑む人々ないし思想に生産的に関われなくなります[30]第2回でご紹介した部族意識(トライバリズム)の存在も踏まえると、人々の「部族スイッチ」がオンになって部族モードになると、自分たちの物語に異議を唱える主張や情報に対して、理性を欠くようになるでしょう[31][32]。つまり、企業のスタンスをめぐって、社内外から非論理的な(不合理な)批判を受ける事態が起こり得るのです。

(2)どちらにも関わらない態度(議論を回避する姿勢)を貫けない

では、企業がどちらにも関わらない態度(議論を回避する姿勢)を貫けるでしょうか。コンプライアンスの観点で考えると、まずは公共部門(行政府や裁判所)の姿勢を踏まえて、企業の姿勢を決定することになるでしょう。その第一歩として、公共部門による道徳への関与の要否について、ハーバード大学教授で、政治哲学者のマイケル・サンデル教授は、著書『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』において、「この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、それらを邪魔せず、それらに――可能な限り――かかわらずに公共の生を営むことだと思い込むようになった。だが、そうした回避の姿勢からは、偽りの敬意が生まれかねない。偽りの敬意は、現実には道徳的不一致の回避ではなく抑圧を意味することが多い。そこから反発と反感が生じかねない」と述べています[33]。

では、裁判所が性的マイノリティの人権と信仰の自由について、どのような着地点を見出すのか、アメリカのマサチューセッツ州における同性婚の議論を見てみたいと思います。公共宗教調査研究所(Public Religion Research Institute:PRRI)が2021年に公表した調査結果(2020年に行われた約5万人に対する電話調査)によると、アメリカ人の約70%は自らをキリスト教徒であると自認しています[34]。したがって、キリスト教の「生殖に結びつかない性行為を禁止する」という教えがある中で、同性婚を認めるのか否かを考えなければなりません。2003年、マサチューセッツ州は、州最高裁判所の決定により、アメリカで最初に同性婚を法的に認めた州になりました。この同性婚をめぐるグッドリッジ対公衆衛生局の裁判の判決文として、マサチューセッツ州最高裁判所のマーガレット・マーシャル裁判長が書いた意見では、最初に、同性婚の賛成派・反対派のいずれの道徳的・宗教的の信念に裁判所は与しない(裁判所の責務は、万人の自由を定義することであり、自分たちの道徳律を強制することでではない)と宣言しているため、一見すると、中立的な立場のように見えます。しかし、裁判所が、同性婚の賛成派・反対派のいずれの道徳的・宗教的の信念に与しない(完全に中立である)ために、個人の選択の自由だけで同性婚を論じるには限界があります。なぜなら、結婚に関して行政府が真に中立であり、個人が望むどのような選択も尊重するなら、一夫多妻や一妻多夫も認めることになるでしょうし、そもそも、行政府が結婚に関与してはならないという話になります。そこで、マーシャル裁判長は、結婚が社会的名誉に関わる制度(相互依存、交情、親密さ、貞節、家庭の理想をきわめて公的に賞賛すること)であるとし、結婚の本質として、結婚が称える美徳についても論じていますから、結局のところ、同性婚の道徳的地位は何かという、根底にある道徳的・宗教的論争に中立ではなかったのです。[35]

マーシャル裁判長は、キリスト教に基づく同性婚反対論(結婚の目的は生殖)に対して、2つのアプローチをしています。1つは「現行の法律に即しているかどうか」で、現行制度では、異性のカップルであっても、生殖能力は結婚の条件ではないですし、離婚の根拠にもなっていないため、結婚の本質は、生殖(子どもをつくること)ではなく、二人のパートナーの間の独占的愛情関係(パートナー同士の独占的で永続的な関わり合い)であると結論付けています。もう1は「生殖としての結婚と、独占的愛情関係としての結婚のどちらが公的に称えるに値するのか」で、結婚によって称えられる美徳は何か、同性婚の道徳的地位は何かを踏まえると、結婚を異性間のみに限るのは「同性間の関係は本質的に不安定で異性間の関係より劣り、尊重に値しない」という有害な固定観念にお墨付きを与えると結論付け、同性間の関係は異性間の関係と同様に尊重に値する(同性婚と異性婚で優劣をつけるべきではない)としました。[36]

上記のマーシャル裁判長のアプローチは、企業が道徳的・宗教的判断を下すにあたって参考になると考えられます。つまり、ある事柄の目的や本質に関して相対する解釈があった場合、「どちらがより今の現実に即しているのか」と「どちらがより有害な影響を及ぼさないか、あるいは尊重に値するか」の2つの天秤にかけて、判断することが示唆されていると考えられます。

道徳的・宗教的判断を下す際の2つのアプローチ

(3)批判を覚悟の上で信念を貫いた企業がある

性的マイノリティを含めた多様性について、信念を貫いている企業として有名なのは、ネットフリックス(Netflix, Inc)とウォルト・ディズニー・カンパニー(The Walt Disney Company)かもしれません。ネットフリックスの信念は、以下の「Netflixのカルチャー:さらなる高みを求めて」で表明されていて、世界には相反する価値観があり、特定の価値観から批判を受けることを承知の上で、多様な作品を提供する信念が伺えます。

Netflixのカルチャー:さらなる高みを求めて[37]

(前略)Netflixのミッションは、世界中にエンターテインメントを届けることです。世界のあらゆるところで素晴らしいストーリーを生み出し、世界の至るところで多様な作品を自由に楽しんでいただくことを目指しています。この目標を実現するために、私たちは一風変わった企業文化を育んできました。この文書はそのカルチャーについて、またNetflixがより良いサービスを提供していくためにいかにチームとして向上し続けられるか、その指針を示したものです。

(中略)

Netflixで配信されているすべての作品が、すべての人に楽しんでもらえる、あるいは誰からも賛同されるということはありません。どんな作品であっても、Netflixではすべての作品に対し同じ方針でアプローチします。それはすなわち、自分たちが一緒に働くと決めたクリエイターの芸術表現を尊重すること、多様な視聴者と嗜好に向けた作品ラインナップを考えること、特定のクリエイターや意見をNetflixが検閲するのではなく、視聴者自身に自分に適した作品を判断してもらうことです。

多様なストーリーを提供するというNetflixの方針を私たちは社員として支持しており、たとえ自分たちの個人的な価値観に反する作品があったとしてもその姿勢は変わりません。役職によっては、有害に思えるような作品に携わらなければならないこともあるでしょう。こういった幅広い作品が配信されていることを支持できないと思う人にとっては、Netflixは最適な職場とは言えないかもしれません。(後略)

※太字は引用者によるものです。

実際に、ネットフリックスが提供するコンテンツが物議を醸すこともあります。例えば、2022年1月から配信開始となった「親愛なる7人の他人」には、イスラム教でタブーとされる同性愛を容認するような描写があることから、イスラム教スンニ派の最高権威「アズハル機関」が「社会道徳に反する行為は創作活動ではない」との声明を発表し、サウジアラビアやクウェートではネットフリックスのサービス停止を求める訴えも起こされています。また、ウォルト・ディズニー・カンパニーは、映画「エターナルズ」や「ウエスト・サイド・ストーリー」について、イスラム諸国から、アラブ人同性愛者が登場したことなどを理由に、一部のシーンの編集を求められましたが、それを拒みました。[38]

フロリダ州でテーマパーク(ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート)を運営しているウォルト・ディズニー・カンパニーは、同州のデサンティス州知事と、性的マイノリティの権利について対立していました。発端は、デサンティス州知事が性的マイノリティの話題を小学校の授業で扱うのを規制する州法を2022年3月に成立させたことに対し、ウォルト・ディズニー・カンパニーが批判したことです。デサンティス州知事は伝統的な価値観を重視する共和党の知事で、リベラルな主張を「過激な左派」だと強烈に批判していました。性的マイノリティの権利を重視するウォルト・ディズニー・カンパニーとの間で起きた争いは「文化戦争(カルチャーウォー)」などと呼ばれています。デサンティス州知事が優遇税制を含む特区制度を廃止して報復したため、ウォルト・ディズニー・カンパニーはテーマパーク事業への不当介入に当たるとして、フロリダ州を訴えましたが、2024年3月、両者は和解することで合意しました。[39][40][41]

8.道徳的・宗教的タブーを超えた平和的な解決のために

(1)イスラエル・パレスチナ問題を解決する和平協定案とは

性的マイノリティの人権と信仰の自由のどちらを選ぶのかについて、前述のマサチューセッツ州、ネットフリックス、ウォルト・ディズニー・カンパニーのように、性的マイノリティの人権を選択したとしても、選択されなかった側(性的マイノリティを嫌悪する宗教の信者)の怒りや嫌悪はいつまでも残り続けてしまいます。この問題に関して、第2回でご紹介した人間関係モデルを上手く使いこなして(人間のタブーの心理の働き方を巧妙に操作して)平和に役立てられないかを探る研究があります。この研究は、人類学者のスコット・アトラン氏を中心にして、心理学者のジェレミー・ジンジェス氏とダグラス・ネディン氏、政治学者のハリール・シカーキー氏の協力の下、イスラエル・パレスチナ問題の当事者を対象に行われました。実験の参加者は、ヨルダン川西岸地区のイスラエル人(ユダヤ人)が600人以上、パレスチナ難民が500人以上、パレスチナ人大学生が700人以上(その半数はハマスかパレスチナ・イスラム聖戦機構の一員と確認されています)でした。イスラエル人のほぼ半分は「たとえどんなに大きな利益があっても、イスラエル王国の土地を譲るなど絶対に許されない」という見方を示しました。他方、パレスチナ人大学生の半分以上は「どんなに大きな利益があっても、エルサレムの主権に関して妥協するなど許されない」との見方を示し、パレスチナ難民の80%は「パレスチナ人のイスラエルへの『帰還の勝利』に関してはどんな妥協も許されない」と考えていました。[42]

アトラン氏らの調査チームは、上記の各集団を3つに分けて、それぞれに仮想の和平協定案を提案し、神聖な価値に関する何らかの妥協を双方に求めてみました。3つの仮想の和平協定案の内容と、それに対する実験の参加者の反応は下表のとおりです。[43]

仮想の和平協定案 実験の参加者の反応
イスラエルとパレスチナをともに独立国家として共存させようとする「二国家解決案」に則って、イスラエル側がヨルダン川西岸地区とガザ地区の99%から退却するが、パレスチナ難民の受け入れはしなくて良い。 提案は受け入れられなかった。イスラエル側もパレスチナ側も絶対主義者(頑なに信念を持った人)は怒りと嫌悪をあらわにし、「必要とあらば暴力に訴えてでも協定に反対する」と答えた。
上記の協定案に、アメリカとEUから現金での補償(例えば年間10億ドルを100年間)や、人民が平和に豊かに暮らせる保証を追加。 絶対主義者でない人々は反対姿勢をいくらか軟化させた。しかし、絶対主義者はこの協定案によってタブーのトレードオフを強制的に熟慮させられる結果となったため、さらに怒り、嫌悪して、すぐにでも暴力に訴えようとする姿勢をとった。
基本的な「二国家解決案」を増強するものとして、敵による純粋に象徴的な宣言を付加し、双方が自分たちの神聖な価値の1つを互いに譲るようにする。(譲り合った内容は後述) 絶対主義者も含め態度が軟化した。(絶対主義者が怒りや嫌悪を和らげて、暴力を辞さないという考えを引っ込めるようになった。)

※上表は、ピンカー教授の著書『暴力の人類史 下』を参照してコンパクトに整理したものです。[44]

上表の3つ目の協定案は大当たりだったわけですが、この協定案でイスラエル側とパレスチナ側はそれぞれ何を譲り合うことになったのかを具体的にご紹介します。まず、イスラエル側に示された協定案では、「パレスチナ側が、パレスチナ人の帰還の勝利(パレスチナ人にとって神聖なもの)に関する一切の主張を放棄する」か、さもなければ「パレスチナ側が、イスラエルの地に対するユダヤ人の歴史的かつ正当な権利を承認する」とされていました。そして、パレスチナ側に示された協定案では「イスラエル側が、パレスチナ人に国家を持つ権利を承認し、パレスチナ人に対して謝罪する」か、あるいは「イスラエル側が、ヨルダン川西岸地区に対する権利(イスラエル人にとって神聖なもの)を放棄する」か、さもなければ「イスラエル側が、パレスチナ人の帰還の勝利の歴史的正当性を象徴的に承認する(ただし、実際にその権利を与えるわけではない)」とされていました。[44]

この実験では、合理的に、和平合意の便益ばかりを操作しようとすると、絶対主義者はさらに怒り、嫌悪して、すぐにでも暴力に訴えようとする姿勢をとったのですが、お金や平和で釣るのとは違って、敵が神聖な価値に関して抽象的な譲歩をしてくれて、しかもこちら側の神聖な価値を認めてくれるとなれば、絶対主義者も怒りや嫌悪を和らげて、暴力を辞さないという考えを引っ込めるようになったのです。つまり、こと政治と宗教の対立となると、その対立の当事者たちを「合理主義者」とみなして便益ばかりを操作すると、かえって頑なに信念を持った人々の怒りを買ってしまいますから、解決に導くためには、対立の当事者たちを「道徳主義者」とみなして抽象的な枠組みを操作すべきなのです。[44]

(2)道徳的・宗教的不一致から目を背けず、徹底的に討論すべき

人間の本性には、共感やセルフコントロールなど、平和へ動機も含まれています。言語のようなコミュニケーション手段もあります。前述の抽象的な推論能力(近代科学以降の思考能力)によって、自らの世界・属性を超え、他人の立場に置き換えて考えることもできます。この60年間の道徳の進歩には、目を見張るものがあります。(まだ世界のあらゆる国で実現しているわけではありませんが)人種や宗教の別なく全ての人が平等の権利を得られていることも、女性があらゆる強制から解放されるべきとされていることも、子どもを叩いてはならない、生徒をいじめから守らなければならないことも、同性愛が何ら悪いことではなくなっていることも、実は人類史においてほぼ前例のないことばかりなのです。これは、私たちの先人たちが、くたくたになるほど悩み、考え、思案してきた、道徳的推論の遺産によるものと考えられます。歴史を紐解くと、道徳的な対立があっても、ひとたび対立が決着すると、勝った方の信念が人々の感受性の中に収まって、過去の軌跡を消してきました。例えば、現代において、「異端者を火あぶりにすべきか」「奴隷を所有すべきか」「子どもを鞭打つべきか」「犯罪者を車裂きの刑に処すべきか」と問われたら、私たちは唖然としてしまうでしょう。しかし、まさにこうした討論が、数世紀前には確かに行われていたのです。[45]

サンデル教授は、「われわれは、同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ――ときには反論し、論争し、ときには耳を傾け、そこから学びながら。困難な道徳的問題についての公の討議が、いかなる状況でも同意にいたるという保証はないし、他者の道徳的・宗教的見解を認めるにいたる保証さえない。道徳的・宗教的教条を学べば学ぶほどそれが嫌いになるという可能性は、つねにある。しかし、やってみないことには、わからない。道徳に関与する政治は、回避する政治よりも希望に満ちた理想であるだけでない。正義にかなう社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ」と述べています[33]。私たちは、かつて先人たちがくたくたになるほど悩み、考え、思案して道徳的推論の財産を残してくれたように、道徳の進歩(正義にかなう社会の実現)のために、徹底的に討論し続けなければならないのです。

参照文献

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以上

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