SPNの眼

ネガティブ・ケイパビリティと「対話」の力

2025.09.29
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総合研究部 専門研究員 吉原 ひろみ

明るいスペースで談笑する社員たち

1.「答え」の魅力

以前勤めていた職場にて、部内ミーティングでメンバーに意見を求めた際に言われた言葉の中で、最もショッキングだったのは、「決まってから言ってください。言われたとおりにやるんで。」だった。ある企画について、少しでも効果を高め、かつ運用しやすさを追求するための意見交換の場だったのだが、出鼻をくじかれ、結局なし崩しに「ひな形をそのまま」に流れた苦い思い出だ。「この通りに実行せよ」という命令は、自分で悩んだり考えたりすることを省略できる。さらに、どれほど時間がかかろうと、効果がなかろうと、言われたことをその通りにやってさえいれば、自分の責任は回避できる。意見も聞かず、一方的に「これをやれ!」と押し付ければ、「現場を全くわかっていない!」「こうした方が効率的なのに」と文句ばかりが噴出するかと思いきや、「この通りに実効せよ」と命令だけを求めることにも、大きなメリットを感じる人はいるようだ。「メンバーは皆、自分の意見を言いたいはずだ」という筆者の思い込みを押し付けたのか、それともメンバーに自分の意見を「言いたくない」と思わせるような別の要因があったのか、当時も今もわからないままだが、ずっと心に残っている。

日々の業務やセミナーでも、「答え」を求められることは多い。

「言ってはいけない言葉、OKな言葉を教えてほしい」
「何をすれば『義務を果たした』と言えるのか?」
「確認すべきことをリスト化したい」
「点数化して、アウトかセーフかを自動的に判定できるようにならないか」
「他社の成功事例がほしい」
「お勧めのひな形はないか?」
「レジュメの最後に、重要な点だけまとめたページがほしい」
「記述式ではなく、選択式の確認テストを用意してほしい」

などなど、あいまいさをできるだけ排除したい人、正しい「答え」を望む人は多い。それは当然だろう。判断には責任が伴い、自分の思う「答え」が正しいか、抜け漏れがないかと不安に思うのは自然なことだ。社内のチームで確認し合おうとしても、それぞれの担当業務がある中、全員が同じ温度感で一つの課題に向き合えることなど、そうそうないと思う。

そんなときのためのエス・ピー・ネットワークということで、「答え」や「答え合わせ」を求めてお声掛けいただくが、時代は「VUCA」の時代。世の中は常に変動し、不確実で、複雑で、曖昧であり、残念ながら「これで大丈夫」と断言できるほど単純ではない。複数人の眼で様々なケースを想定し、一緒に「今の最適」を模索するが、そんな当社も「本当にこれで大丈夫か?」と常に問い続けることになり、喉から手が出るほど「答え」を欲してしまう。それほど確実な「答え」は魅力的で、つい追い求めてしまうものなのかもしれない。

そんな中、最近「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability」という言葉を度々耳にするようになった。

2.「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「性急に事実や理由を求めず、不確実さや不可思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を指すそうだ。

1817年、英国の詩人であるジョン・キーツが弟たちに宛てた手紙の中で書き記した概念であり、これが詩人に求められる資質だと説いたのだという。そしてその150年後、精神科医のウィルフレッド・R・ビオンが、生身の人と人が接する精神療法の場で治療者が保持しなければならない能力として、この概念に光を当てたとのこと。

心の病に「これさえすれば、誰でも必ず回復する」というような特効薬も、治療法も、カウンセリング技法も、魔法の杖もないだろう。病気になったきっかけや程度も、おおよその傾向はあれども、人それぞれの要素も大きいと思われる。病との付き合い方も人それぞれで、すっかり元気になることを目指そうとする人もいれば、ほどほどを目指す人もいる。ただ一つの「あるべき姿」を目指し、「確実な治療法」で患者と向き合えるわけではない精神科医にとっては、なるほど、必要な能力といえるだろう。

そして今、このネガティブ・ケイパビリティはビジネスの世界でも必要性が高まっている。発達したAIが「答えらしきもの」を示すようになっても、その答えを採用するかどうかを決めるのは人間だ。安易に「答え」を求めず、解決や改善を諦めることなく地道に歩みを進めるには、「見通しの悪い中で模索する力」と共に、「答えの出ないもやもやした気持ちに耐える力」は必須なのかもしれない。

3.「話すこと」「聴くこと」の効果

最近、たまたま手に取った2冊の本が依存症の治療に関するものだったのだが、興味深いことに、ギャンブル依存も性的依存も、どちらも自助グループへの参加、集団療法の効果が謳われている。アルコールや薬物の依存でも、その他の治療とあわせて集団療法が存在するようだ。同じ依存症のメンバーが集まり、討論や批判はせず、ひたすらメンバーの前で自分の話をし、他者の話を聴くのだという。

自分より軽症の人や重症の人はいれども、皆同じ病気のメンバーが集まっている。話を聴けば思い当たることは多々あり、自分が「病気であること」に納得できるようになる。他者が心を開き、胸の内をオープンに語ると、それを批判する人はおらず、誰もが受け入れ、拍手が送られる。それを見て、自分のことも話せるようになり、自分も「受け入れられる」体験を重ね、孤独から抜け出し、仲間の力を活かし合い、支え合って、再び依存対象に溺れることなく、自分の人生を取り戻すのだ。

話すテーマは、それぞれの依存対象に応じてワークシートや問いが用意されているようだが、話す内容は人それぞれで、話したことに正解も不正解もないし、要約やまとめもしない、採点もランキングもない。「答え」ではなく、「過程」が治療となっているように見受けられる。

カウンセリングは1対1での対応ではあるが、クライエントが自分のことを話し、カウンセラーが受容的な態度で聴くというものであり、クライエントが誰かに受け入れられながら「話す」という点では同じだ。

人は、話そう・伝えようとするうちに、自分の考えや過去の行動や気持ちを振り返り、冷静な目で見つめ直す機会を得て、考えが整理される。カウンセラーは、よく聴き、要約を返し、時々深掘りのための質問を投げるが、基本的に「こうしなさい」「これをすれば良くなる」という「答え」は出さない。「答え」はクライエント自身が見つけるものであり、カウンセラーはクライエントの「答え」探しをサポートし、見つけた「答え」の実行に向け、そっと背中を押すだけだ。

ハラスメントで懲戒を受けた人に対する再発防止の個別研修は、カウンセリングに近い。発注者である企業はこの研修に相応の料金を支払っていることもあり、その効果を確認するためにも、終了後にレポートを求める。受講者が見つけた「答え」らしきものや、その実行計画、今後必要となるサポート内容等、実施する側も「成果」をわかりやすく示せるという事情もあり、「答え」がある方が望ましいのだ。

しかし、何らかの問題行動を防止するためのセッションに、目に見える「答え」が本当に必要か?といわれれば…答えは「否」である。先に述べた依存症の自助グループの活動がそれを物語っている。病的なギャンブル依存者や性犯罪者が、再発させずに踏み留まれるだけの効果があるのが、どうやら「言いっぱなし」「聞きっぱなし」のミーティングであるらしい。

複数の人が集まり、様々な意見や考えを聴く。そして自分もそこで胸の内を語り、他のメンバーがそれを否定せずに聴く。誰もが平等に発言でき、それぞれがそれぞれの感想を抱く、そんな対話をするだけのミーティングへ継続的に参加することで、問題行動を踏み留まり、迷惑を掛けた人のことを考えられるようになり、心からの謝罪の気持ちまで湧いてくるというのだ!

ミーティングは仲間の絆を感じる場であり、他者を通して自分を振り返る場であり、安心できる居場所であり、人間関係のトレーニングの場ともなる。互いに支え合い、学び合うことで、「こういう特性の人はどうしようもない」「病気だから仕方ない」と社会から排除されてきた人たちが、変わっていく。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」とは、まさに真実だと思う。自分が「変わりたい」と願い、歩み続けるために、まずは、目の前に特効薬のような「答え」がなくても、自分は「変われる」ことを知っていただきたいものだ。

4.研修を「対話」の機会に!

会社は医療機関ではなく、問題行動を医療的なアプローチで治療する場ではない。しかしこの「多くの人の考えや意見を聴き、自分も否定されずに発言できる」という体験は、企業内にも何か良い効果をもたらしそうだ。

例えば、ハラスメント防止研修にて。「こんなシチュエーションで、このような叱責を受けた」という事例を読み、「この叱責を自分はどう感じるか」「どうしたらもっと、自分にとって効果的になるだろうか」を話し、聴き合うのも面白いだろう。研修時間を長く取れないこと、発言をためらう人がいるのではないかということで、事前課題としてアンケートに匿名で回答してもらい、当日その結果を共有するという形式で、実際に実施したことがある。その際は、自分とは全く別の捉え方をする人の存在に驚く人が現れ、その驚きを、研修の場で全員に共有していただけた。

「捉え方は人それぞれだ」と気付いたところで、コミュニケーションの難しさは変わらない。すぐにうまくコミュニケーションを取れるわけではないし、自分が何をどう改善したらよいかがわかるわけでもない。しかし、少しでも「自分の考えは相手と同じか?」と意識する瞬間が増えれば、すぐには変わらなくても、何かが少しずつ変わっていくのではないか。そんな期待を抱きつつ、今日も筆者は研修プログラムを考えている。

研修の効果は、一朝一夕で目に見えて現れるものではない。しかし、毎年同じようなテーマで研修を実施している企業では、毎年異なる重点課題が挙げられている。重点課題が変わるということは、確実に変化が起きているという証拠だ。ただ一つの正しい「答え」に固執せず、常に自分や他者、職場環境、時代の流れ等を見つめ、対話を続けることに意義があると思うのだ。

なお、当社Webサイトに定期掲載している「SPNの森 動物たちが語るHRリスクマネジメント相談室」(参考3)は、まさに複数のメンバーが、それぞれの意見を伝え、聴き合う場だ。こちらは音声での対話ではなく、チャット上でのやり取りを再編集したものだが、毎回「こんなところまで話が及んだか…!」と思うほど視点が広がっていくため、参加している筆者も面白く感じている。

ネガティブ・ケイパビリティを意識し、結論らしい結論が出ないことを是とするならば、工夫次第で多くの学びを得られる場は作れる。2025年度の「HRリスクマネジメント祭り 時代に乗り遅れないためのセクハラ対応を考える」(参考4)も、まさに対話を通して考える場として企画中だ。できれば、少しでも参加型にできないか?と、第2回では「文字での交流」も模索しているので、ぜひご参加いただきたい。

参考

  1. 帚木蓬生「ほんとうの会議 ネガティブ・ケイパビリティ実践法」講談社現代新書 2025年
  2. 原田隆之「痴漢外来 性犯罪と闘う科学」ちくま新書 2019年
  3. 当社Webサイト連載コラム「HRリスクマネジメントトピックス」
  4. 当社セミナー案内 「HRリスクマネジメント祭り2025」
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